1 恵那南高等学校沿革
平成19年4月1日 | 「生徒いきいきプラン」により、県立明智商業高等学校、岩村高等学校が統合し恵那南高等学校となる。旧明智商業高等学校は恵那南高等学校明智校舎、旧岩村高等学校は同岩村校舎と名称を改める。旧岩村高等学校長塚本渉平は多治見高等学校長に転任し、旧明智商業高等学校長渡辺守夫が初代恵那南高等学校校長に、旧岩村高等学校教頭鈴木康博が副校長にそれぞれ着任する。総合学科定員160名(4学級)となる。 |
平成19年4月8日 | 明智かえでホールにて県立恵那南高等学校開校式が挙行される。 |
平成20年3月11日 | 総合学科棟が完成し、引き渡される。 |
平成20年4月1日 | 校長渡辺守夫は退職し、県立土岐紅陵高等学校教頭橋本義治が校長に着任する。 |
平成21年3月31日 | 岩村校舎が閉校舎となる。 |
平成21年4月1日 | 総合学科定員120名(3学級)となる。 |
平成22年2月26日 | 恵那南高等学校校歌(作詞作曲:後藤健二、編曲:大沼智幸)を制定し、校歌発表会を行う。 |
平成22年3月1日 | 総合学科第1期生が卒業する。 |
平成23年4月1日 | 校長橋本義治は定年退職し、県立恵那南高等学校教頭大嶽和好が校長に着任する。 |
平成25年4月1日 | 校長大嶽和好は県立多治見高等学校長に転任し、県立中津高等学校副校長谷口陽一郎が校長に着任する。 |
平成27年4月1日 | 校長谷口陽一郎は県立恵那高等学校長に転任し、県立岐山高等学校教頭髙谷信吾が校長に着任する。 |
平成29年4月 1日 | 校長髙谷信吾は県立各務原高等学校長に転任し、県立瑞浪高等学校教頭林尚志が校長に着任する。総合学科定員80名(2学級)となる。 |
平成29年5月27日 | 創立10周年記念式典を挙行する。 |
平成31年4月1日 | 総合学科定員60名(2学級)となる。 |
令和元年6月14日 | 普通教室空調設備設置工事竣工。 |
令和2年2月14日 | 武道場屋根外壁床改修工事竣工。 |
令和2年4月1日 | 校長林尚志は定年退職し、県立恵那高等学校教頭高橋俊和が校長に着任する。 |
令和3年3月19日 | 準普通教室空調設備設置工事竣工。 |
令和5年4月1日 | 校長高橋俊和は定年退職し、県立土岐紅陵高等学校教頭安藤範和が校長に着任する。 |
2 統合以前の沿革
(1)旧明智商業高等学校沿革
昭和23年7月23日 | 組合立恵南高等学校定時制課程の設立を許可される。仮校舎を明智小学校におき同日開校する。 |
昭和23年8月1日 | 岐阜県公立中学校校長加藤亮一学校事務取扱を命ぜられる。 |
昭和24年1月16日 | 岐阜県公立中学校長加藤亮一学校長に兼補される。 |
昭和24年12月10日 | 新校舎竣工・移転。 |
昭和25年4月1日 | 岐阜県恵那郡明智町立恵南高等学校と改称する。通常課程普通科の設置を許可される。 |
昭和25年4月25日 | 校舎落成式を挙行する。 |
昭和26年4月1日 | 岐阜県立に移管され、岐阜県立恵南高等学校と称する。加藤亮一学校長に着任する。 |
昭和28年4月1日 | 校長加藤亮一は県立中津高等学校に転任し、高山市第一中学校長青木敏郎学校長に着任する。 |
昭和32年4月1日 | 校名を明智高等学校と改称する。 |
昭和32年6月1日 | 講堂竣工落成式挙行並びに校歌制定発表する。 |
昭和32年10月11日 | 校長青木敏郎は県立武義高等学校長に転任し、県立岐阜高等学校教諭杉野武雄学校長に着任する。 |
昭和33年4月1日 | 通常課程商業科が設置される。木造平屋建396㎡及び寄宿寮を県へ移管される。 |
昭和33年10月3日 | 創立10周年記念式典を挙行する。 |
昭和34年4月1日 | 通常課程普通科は家庭を主とする課程となる。 |
昭和35年4月1日 | 通常課程普通科は女子のみとする課程となる。 |
昭和36年4月1日 | 校長杉野武雄は県立益田高等学校長に転任し、県立坂下高等学校長伊藤琢郎校長に着任する。 |
昭和37年4月1日 | 校長伊藤琢郎は県立華陽高等学校長に転任し、県立大垣北高等学校教頭戸谷総一郎学校長に着任する。 |
昭和38年5月20日 | 理科校舎竣工式。 |
昭和40年4月1日 | 校長戸谷総一郎は県立揖斐高等学校長に転任し、県立岐阜北高等学校教頭関屋健太郎学校長に着任する。 |
昭和41年4月1日 | 校長関屋健太郎は県立土岐商業高等学校長に転任し、県立岐阜女子商業高等学校教頭砂田俊彦学校長に着任する。 |
昭和42年4月1日 | 普通科生徒の募集を停止し、商業科のみとなる。 |
昭和43年4月1日 | 校名を岐阜県立明智商業高等学校と改称。 |
昭和44年2月2日 | 体育館竣工創立20周年記念式典を挙行する。 |
昭和44年4月1日 | 校長砂田俊彦は岐阜市立岐阜商業高等学校長に転任し、県立揖斐高等学校教頭木島徳次郎学校長に着任する。 |
昭和44年4月15日 | 商業科校舎一部竣工。 |
昭和45年3月31日 | 寄宿舎廃止。 |
昭和45年4月1日 | 事務科が設置される。 |
昭和47年2月25日 | 本校舎一部竣工。 |
昭和47年4月1日 | 校長木島徳次郎は県立養老女子商業高等学校長に転任し、県立高山高等学校教頭松田光雄学校長に着任する。 |
昭和48年2月15日 | 本館校舎竣工。 |
昭和48年3月23日 | 校舎竣工式を挙行する。 |
昭和49年4月1日 | 校長松田光雄は県立中津高等学校長に転任し、県立岐阜商業高等学校教頭加藤鉄男学校長に着任する。 |
昭和51年4月1日 | 校長加藤鉄男は県立岐阜女子商業高等学校長に転任し、県立多治見北高等学校副校長纐纈直祐学校長に着任する。 |
昭和54年4月1日 | 校長纐纈直祐は県立土岐商業高等学校長に転任し、県立長良高等学校教頭宮部健治学校長に着任する。 |
昭和54年11月11日 | 創立30周年記念式典を挙行する。 |
昭和56年3月19日 | 校舎増築竣工。 |
昭和56年3月23日 | 校舎増築竣工式を挙行する。 |
昭和56年4月1日 | 校長宮部健治は県立武義高等学校長に転任し、県立本巣高等学校教頭飯尾誠太郎が校長に着任する。 |
昭和59年4月1日 | 校長飯尾誠太郎は県立本巣高等学校長に転任し、県立郡上高等学校副校長若尾昇が校長に着任する。 |
昭和61年4月1日 | 校長若尾昇は退職し、岐阜県教育委員会教職員長補佐大宮義章が校 |
平成元年4月1日 | 校長大宮義章は岐阜県教育委員会教職員課長に転任し、県立中津商業高等学校教頭堀井髙文が校長に着任する。 |
平成2年3月27日 | 格技場竣工。 |
平成2年4月15日 | 格技場竣工式を挙行する。 |
平成3年4月1日 | 校長堀井髙文は県立中津商業高等学校長に転任し、岐阜県教育委員会教職員課総括課長補佐服部晃が校長に着任する。 |
平成3年4月1日 | 事務科の募集を停止し情報会計科が設置される。 |
平成5年4月1日 | 校長服部晃は県立可児高等学校長に転任し、県立海津北高等学校教頭梅村明彦が校長に着任する。 |
平成7年3月10日 | プール竣工。 |
平成8年4月1日 | 校長梅村明彦は県立揖斐高等学校長に転任し、岐阜県博物館学芸部長石井新太郎が校長に着任する。 |
平成10年11月29日 | 新体育館竣工。創立50周年記念式典を挙行する。 |
平成11年4月1日 | 校長石井新太郎は県立恵那高等学校長に転任し、岐阜県教育委員会学校指導課総括課長補佐高屋一行が校長に着任する。 |
平成13年4月1日 | 校長高屋一行は県立揖斐高等学校長に転任し、県立岐山高等学校教頭村瀬洋三が校長に着任する。 |
平成15年3月31日 | 校長村瀬洋三退職する。 |
平成15年4月1日 | 県立大垣商業高等学校教頭三鴨明美が学校長に着任する。 |
平成18年4月1日 | 校長三鴨明美は県立大垣商業高等学校長に転任し、県立岐阜各務野高等学校副校長渡辺守夫が校長に着任する。 |
平成19年4月1日 | 「生徒いきいきプラン」により、県立明智商業高等学校、岩村高等学校が統合し恵那南高等学校となる。旧明智商業高等学校は恵那南高等学校明智校舎と名称を改める。 |
(2)旧岩村高等学校沿革
昭和2年3月31日 | 岐阜県恵南実科女学校として設立を認可される。(岩村町他4ヶ村の組合立)梅沢英造が校長に就任する。 |
昭和3年4月5日 | 校長梅沢英造は退職、野村志ようが校長に就任する。 |
昭和4年4月1日 | 校長野村志ようは退職、浅野とくが校長に就任する。 |
昭和4年11月20日 | 増築校舎竣工。 |
昭和14年4月10日 | 本科定員200名に認可される。 |
昭和15年9月6日 | 増築校舎竣工。 |
昭和17年4月4日 | 県立に移管を認可される。定員350名に増員を認可される。岐阜県立岩村高等実科女学校と改称する。 |
昭和19年3月31日 | 校長浅野とくは退職し、宇田川岩次郎が校長に就任する。 |
昭和22年5月3日 | 学制改革により岐阜県岩村高等実科女学校併設中学校を設置する。 |
昭和23年4月1日 | 学制改革により岐阜県岩村高等学校に移行、全日制普通科を置く。 |
昭和23年8月10日 | 岐阜県立岩村高等学校と改称する。 |
昭和23年8月18日 | 校長宇田川岩次郎は退職し、岐阜県立高山女子高等学校長樋田善一が校長に就任する。 |
昭和24年3月31日 | 岐阜県岩村高等実科女学校併設中学校を廃止する。 |
昭和24年4月1日 | 全日制農業科・定時制普通科(夜間部)を設置する。学校統合により男女共学となり、男子生徒182名、女子生徒273名、計455名となる。 |
昭和25年4月1日 | 増築校舎竣工、農業科校舎竣工、男子生徒245名、女子生徒286名、計531名となる。 |
昭和26年4月1日 | 定時制普通科(昼間部)を設置する。男子271名、女子268名、計539名となる。 |
昭和27年1月1日 | 運動場拡張(4250㎡)13985㎡となる。 |
昭和27年4月1日 | 校長樋田善一は退職し、岐阜県立羽島高等学校長青山健吉が校長に就任する。全日制商業科設置、男子生徒245名、女子生徒299名、計544名となる。 |
昭和27年8月1日 | プール完成。 |
昭和29年4月23日 | 農業科実習地として水田13010㎡、畑508㎡、果樹園2975㎡、計16493㎡を購入する。 |
昭和30年4月1日 | 体育館竣工(475㎡)。 |
昭和30年6月1日 | 旧講堂を商業科実践教室および家庭科教室に改造。 |
昭和31年5月1日 | 農業科生徒宿泊施設を建設する。 |
昭和31年12月7日 | 小学区制が廃止され全県2学区制が採用される。 |
昭和32年4月1日 | 校長青山健吉は岐阜県立八百津高等学校長となり、岐阜県立岐阜高等学校教頭中島常雄が校長に就任する。 |
昭和33年3月31日 | 全日制商業科・定時制普通科(夜間部)募集を停止する。全日制普通科30名・定時制普通科(昼間部)30名を増加募集する。 |
昭和34年4月1日 | 校長中島常雄は組合立大垣東高等学校長となり、岐阜県立揖斐高等学校長田村幸次郎が校長に就任する。 |
昭和34年11月16日 | 北校舎老朽のため鉄筋コンクリート3階建新校舎に改築する第1期工事に着工する。 |
昭和35年4月1日 | 定時制普通科(昼間部)の募集を停止し、生活科40名を募集する。 |
昭和35年6月6日 | 北校舎改築の第1期工事が竣工する。 |
昭和35年8月1日 | 北校舎改築の第2期工事に着工する。 |
昭和36年3月13日 | 北校舎改築の第2期工事が竣工し、北校舎が完成する。 |
昭和36年4月1日 | 定時制生活科の募集定員を30名に変更する。校長田村幸次郎は岐阜県立大垣農業高等学校長となり、学校組合立高田高等学校長各務隆が校長に就任する。 |
昭和36年5月11日 | 新校舎完成。 |
昭和38年4月1日 | 普通科定員200名・農業科定員40名にそれぞれ増員し、定時制生活科の募集を停止する。定時制生活科を家政科と改称。 |
昭和38年5月20日 | 中央昇降口・前庭造園の工事が竣工する。 |
昭和39年4月1日 | 校長各務隆は岐阜県立武義高等学校長となり、岐阜県立大垣商業高等学校教頭服部和司が校長に就任する。 |
昭和40年10月3日 | 本校創立40周年記念として同窓会館が完成。本校創立40周年記念碑(中庭)を建立。 |
昭和40年11月12日 | 本校創立40周年記念式典を挙行する。 |
昭和41年4月1日 | 校長服部和司は岐阜県立海津高等学校長となり、岐阜県立揖斐高等学校教頭渡辺佐一が校長に就任する。農業科の募集を停止する。 |
昭和41年5月25日 | 礼法室を復元、宿直室を改造、相談室を設置する。 |
昭和42年8月10日 | 校務員室を改造する。 |
昭和43年2月5日 | 町道(北舎前)の付け替え工事に着工する。 |
昭和43年6月11日 | 町道(北舎前)の付け替え工事が竣工する。 |
昭和44年4月1日 | 校長渡辺佐一は岐阜県立瑞浪高等学校長となり、岐阜県教育委員会学校指導課主任主査幸脇多聞が校長に就任する。 |
昭和45年2月10日 | 分根農場を岩村町へ、旧岩村小学校敷地を岐阜県へ無償交換する。 |
昭和45年2月13日 | 体育館(1189㎡)が竣工する。 |
昭和45年2月20日 | 旧体育館を講堂に改装する。 |
昭和45年2月22日 | 体育館の竣工式を挙行する。 |
昭和46年4月1日 | 校長幸脇多聞は岐阜県教育委員会社会教育課長となり、岐阜県立吉城高等学校教頭細江泰幸が校長に就任する。 |
昭和46年7月27日 | 南校舎老朽のため鉄筋コンクリート4階建校舎に改築する第1期工事に着工する。 |
昭和47年7月31日 | 南校舎の第1期工事が竣工する。 |
昭和48年4月1日 | 校長細江泰幸は岐阜県立各務原高等学校長となり、岐阜県立岐阜高等学校通信制主事横山寛吾が校長に就任する。 |
昭和49年4月1日 | 普通科定員225名(5学級)となる。 |
昭和49年7月20日 | 南校舎改築の第2期工事に着工する。 |
昭和50年3月26日 | 南校舎改築の第2期工事が竣工する。 |
昭和50年7月26日 | 増築工事に着工する。 |
昭和51年4月1日 | 校長横山寛吾は岐阜県立武義高等学校長となり、岐阜県立大垣北高等学校教頭高橋猷夫が校長に就任する。 |
昭和51年5月6日 | 増築工事が竣工する。 |
昭和52年10月23日 | 本校創立50周年記念式典ならびに竣工式を挙行する。 |
昭和54年4月1日 | 校長高橋猷夫は岐阜県立揖斐高等学校長となり、岐阜県立不破高等学校教頭松岡節夫が校長に就任する。 |
昭和56年4月1日 | 校長松岡節夫は岐阜県立東濃実業高等学校長となり、岐阜県立大垣東高等学校教頭森晃が校長に就任する。普通科定員180名(4学級)となる。 |
昭和58年3月1日 | 測量標柱を中庭に建立。 |
昭和58年4月1日 | 普通科定員225名(5学級)となる。 |
昭和59年1月26日 | 校内の知新館遺構を郷土館前へ移転する工事が竣工する。 |
昭和59年4月1日 | 校長森晃は岐阜県立池田高等学校長となり、岐阜県立恵那高等学校教頭水野恭平が校長に就任する。 |
昭和62年4月1日 | 校長水野恭平は定年退職し、岐阜県立可児高等学校教頭伊藤郁雄が校長に就任する。 |
昭和62年7月16日 | 格技場工事に着工する。 |
昭和63年1月30日 | 格技場が竣工、本校創立60周年記念式典を挙行する。 |
昭和63年4月1日 | 普通科定員230名(5学級)となる。 |
平成元年3月31日 | パソコン専用教室を設置する。 |
平成元年4月1日 | 普通科定員282名(6学級)となる。 |
平成2年4月1日 | 校長伊藤郁雄は岐阜県立中津高等学校長となり、岐阜県立土岐商業高等学校長市岡訓平が校長に就任する。普通科定員230名(5学級)となる。 |
平成3年4月1日 | 普通科定員225名(5学級)となる。 |
平成4年2月19日 | 全館の水道配管改修工事が竣工する。 |
平成4年3月31日 | 町道の付け替え工事によりテニスコートを改修する。ワープロ専用教室を設置する。 |
平成5年4月1日 | 校長市岡訓平は定年退職し、関市立関商工高等学校副校長森田豊が校長に就任する。普通科定員215名(5学級)となる。 |
平成5年10月26日 | 屋上防水改修工事が竣工する。 |
平成6年3月17日 | 自転車置場増設工事が竣工する。 |
平成6年3月29日 | 家庭科教室(調理室)の改修工事が竣工する。 |
平成7年4月1日 | 校長森田豊は関市立関商工高等学校長となり、岐阜県立斐太農林高等学校長河合哲心が校長に就任する。普通科定員200名(5学級)となる。 |
平成8年4月1日 | PC・WP教室北校舎に移転。新機種のパソコン42台配置。普通科定員160名(4学級)となる。 |
平成8年12月9日 | 新体育館起工式を挙行する。 |
平成9年4月1日 | 校長河合哲心は岐阜県立瑞浪高等学校長となり、中津川市立阿木高等学校教頭萱野重智が校長に就任する。 |
平成10年2月3日 | 新体育館竣工する。 |
平成10年2月19日 | 講堂解体終了、跡地はグラウンドの一部となる。 |
平成10年4月1日 | 普通科定員120名(3学級)となる。 |
平成10年4月27日 | 同窓会館(知新會舘)の起工式を挙行する。 |
平成10年10月31日 | 同窓会館(知新會舘)が完成する。 |
平成10年11月15日 | 創立70周年記念式典を挙行する。同窓会館(知新會舘)竣工式を挙行する。 |
平成11年1月20日 | 同窓会館(知新會舘)同窓会より岐阜県へ寄付採納。 |
平成12年4月1日 | 校長萱野重智は定年退職し、岐阜県立中津高等学校教頭伊藤克己が校長に就任する。 |
平成13年3月27日 | PC教室のパソコン42台、新機種に更新。PC教室内LAN整備。 |
平成13年4月24日 | 校内LAN整備工事に着工する。 |
平成15年4月1日 | 校長伊藤克己は定年退職し、岐阜県立岐山高等学校教頭小林達夫が校長に就任する。普通科定員80名(2学級)となる。 |
平成15年12月19日 | 弓道場補修工事が竣工する。 |
平成16年11月2日 | 本館棟耐震補強工事が竣工する。 |
平成18年4月1日 | 校長小林達夫は定年退職し、岐阜県飛騨地域福祉事務所長塚本渉平が校長に就任する。普通科定員40名(2学級)となる。 |
平成19年2月10日 | 創立80周年記念事業【全校生徒の合唱による岩村高校校歌のCD制作、スピードスケート元オリンピック代表選手堀井学氏による講演、部活動栄光の足跡を刻む顕彰碑「岐阜県立岩村高等学校部活動栄光の足跡 |
平成19年4月1日 | 「生徒いきいきプラン」により、県立明智商業高等学校、岩村高等学校が統合し恵那南高等学校となる。旧岩村高等学校は恵那南高等学校岩村校舎と名称を改める。 |
平成21年3月1日 | 岐阜県立恵那南高等学校岩村校舎閉校舎式が挙行される。 |