このページは平成30年3月に、各務原西高校の歴史や今昔を振り返ることができるようにという願いを込めて作成いたしました。学校の昔と今を振り返ることにより、卒業された諸先輩の皆様、今ここに通う在校生の皆様、これから入学しようと考えている中学生の皆様、そしてこの学校に関わってきた皆様が、このページを通して一つに繋がることができれば素敵だと願っております。
昭和57年3月に岐阜県議会において用地取得が決定し、岐阜大学農学部(現応用生物学部)グラウンド跡地に各務原西高校を設置することが決まりました。翌58年4月の開校を目指し、建設工事は着々と進められ、無事に開校式・入学式が執り行われました。
第1回入学式では315名が入学し、各務原西高校の歴史が始まりました。開校当初は体育館ができていなかったため、隣接する那加中学校の体育館をお借りして行われました。野々村初代校長は式辞において、「1年間で立派な校風を樹立しなさい。」と入学生に向けて言葉を贈ったそうです。その後、生徒や職員が特色ある学校づくりに情熱を注ぎ、現在の各務原西高校ができました。
校舎の建設はいくつかの段階に分けて行われました。第一段階は管理棟の中央部分(現在の校長室から東階段まで)と渡り廊下を挟んで特別棟西側部のみ完成した状態で開校しました。その後、未完成部分を順に建設していき、現在の校舎が完成しました。
第一段階完成 |
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校舎設備完成(平成4年撮影 青桜館建設前) |
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昭和58年4月の創立当初に設置され、各務原西高校へ訪れる方を玄関にてお迎えしております。題名は「翔」といいます。作者は堀江良一氏(旧加納高校美術科教諭)であり、以下の想いが込められています。
「人は古より大空に憧れ、その中にあって自由に舞ってみたいと願った。それは現状を脱して一歩なりとも高い理想に近づきたいとする願いからである。今この学園に集える若人は、希望の翼を大きく広げ、勇気を持って、真なるもの、善なるもの、美なるものを求めて翔ける。己の可能性を信じ、豊かなる心と強靭なる精神力を培いながら。」
設置(校舎建設時) | 現在(平成29年度) |
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各務原西高校には、校庭を囲うように桜が植えられています。調べによると、大きく分けて3回に渡り植樹されたそうです。昭和21年頃に川崎鉄金工業の工場が建設された際に敷地内に十数本植えられたそうです。その後、昭和30年に工場跡地に岐阜大学農学部グラウンドが整備され、同時にグラウンドを囲むように更に植樹されたそうです。3回目は、グラウンド跡地に各務原西高校が開校した際に植樹が行われたそうです。その後、平成16年に老木が倒れたため、第20期生が卒業記念で2本植樹を行いました。現在では、桜の樹齢も60年を超えるものも多くなり、寿命を迎えつつあるものも多くなっています。諸行無常という言葉ほど、現在の西高桜にふさわしい言葉はないのかもしれません。西高のシンボルでもあるこの桜並木を途絶えさせることの無いよう、桜のバトンを繋いでいってもらいたいと思います。
現在の校歌は創立10周年記念事業の一環として作られました。平成3年秋に完成し、全校生徒に披露されました。それまでは「校歌」というものが無かったため、校歌に代わる歌を募集したところ、野々村初代校長作詞の「校友歌」、田口初代教務部長作詞の「愛校歌」が採用されました。どちらの歌も使用されましたが、「校友歌」が校歌の代替として式典や行事等で歌われていたそうです。作曲は当時、音楽の講師であった篠田弘美先生が担当されました。
完成した校歌の披露 | 校歌 |
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昭和58年に西高独自の体操である「西高体操」が考案・創作されました。「西高体操」には伴奏曲もあり、体育の授業の準備体操や毎週行われていた全校集会で必ず行われていたそうです。
「西高体操」は全国でただ一つ本校にしかない体操です。この体操は単なる準備運動だけの体操ではなく、筋トレ的な補強運動を盛り込んだ、内容の豊富な体操であり、全行程終了まで約4分かかるとのことです。すべての運動をしっかり行うと、息切れするほどの運動量になります。興味のある方はぜひチャレンジしてみてください。
当時、全校朝会で使用されていた「西高体操」のカセットテープが本校放送室に大切に保管されていました。ご存知の方も初めての方も、是非聴いてみてください。
平成8年4月より岐阜県初となる単位制に移行しました。それに伴い、平成4年度に校内に単位制設置準備室が設置されました。当時は県内初の全日制の単位制高校ということもあり、メディア等からも大きな注目を浴びました。選択科目を設定することにより、個々の進路に合わせた授業選択ができ、きめ細かい指導が可能となりました。制度上、学年の区分を設けていないため、「学年」という言葉は使わず「年次」という言葉で呼んでいます。単位制のメリットをいかすことができ、現在では単位制へ移行する学校も増えました。岐阜県の単位制をリードしたのは各務原西高校でした。
単位制設置準備室開設(平成4年度) | 単位制説明会 |
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平成7年度学校案内 | 当時配布された資料(一部) |
単位制設備工事の一環で、「生徒が自主研究できる場」として、ゼミナール棟を建設されました。建設前は第3期生が寄贈した野外ステージがあり、様々な場面で活躍しておりましたが、やむを得なく取り壊すことになりました。ゼミナール棟は平成9年3月に竣工し、約130人程度が収容でき、授業や集会等も可能になっています。「青桜館」という名称は校内で募集し、西高のイメージカラーの「青」と西高桜の「桜」から「青桜館」という名前が付きました。また、「せい」には西の「せい」という意味も含まれているとのことです。
建設前にあったステージ | 建設中 |
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現在(平成29年度) | 内部 |
開校当時は男子は学ラン、女子は青を基調とした制服でした。その後、平成2年4月より男女ともブレザーの新制服になりました。当時は新旧の制服が混在していましたが、平成4年度より完全移行しました。
新制服は県内でも「かわいい」と人気のある制服で、この制服を着るために入学した生徒も多数?いるらしいとか。
旧制服 | 新制服(現行) |
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新制服の案内(平成2年度) |
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開校当時の遠足は、「遠足」の名のとおり、バスを一切使わないで遠くまで歩いていくことを旨としました。左の写真は3年生の遠足で、体操服に着替えて前渡不動山まで往復12kmほど歩きました。生徒たちは受験勉強の重圧からしばし解放され、和やかな1日を過ごすことができました。現在は、バスでの遠足になり、平成29年度の3年次生は京都に行きました。
昭和60年度 | 現在(平成29年度) |
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各務原西高校の職員劇は昭和63年より行われました。第1回目の題名は「敦煌」で、昼休みに野外ステージにて行われました。左の写真は、第2回目にあたる平成元年度に行われた「シェイクスピア・アラカルト」で、シェイクスピアの戯曲の名場面を集めました。1回目、2回目ともに、脚本・演出は、岐阜県演劇界の巨匠と言われた桜本英二教頭先生(当時)でした。平成29年度は文化祭において、久しぶりに職員劇が復活し、「昼間の決闘」を披露しました。
平成元年度 | 現在(平成29年度) |
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昭和60年、地歴公民科教諭として赴任された虫賀文人先生は各務原西高校で9年におよび、世界史を専門とする教諭として生徒にとても熱く分かりやすい教鞭を執られました。
現在、各務原西高等学校長として2度目の勤務をされ、平成30年2月20日に最後の授業を行いました。
昭和62年度 | 現在(平成29年度) |
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特別棟の前には花壇があります。花壇ができてから毎年様々な花を楽しむことができました。残念ながらここ数年は何も植えられていませんでしたが、今年度より復活させることができました。いつまでも桜と花のあふれる学校を目指します。
平成2年度 | 現在(平成29年度) |
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学校設立当初は「職業教室」という名称でしたが、昭和59年より「コンピュータ教室」となりました。
「Fujitsu FM-7」「Fujitsu FM-New7」が計24機導入され、当時としてはとても高価で進んだ設備が導入されていました。現在では、パーソナルコンピュータ「NEC
PC-MK32」が40機導入されています。
写真の授業では、どちらも「BASIC」というプログラミング言語を用いた実習を行っています。設備は大きく変わっても、授業で行っている内容や周りで教え合いをする姿はほぼ変わらないという面白い比較です。
平成2年度 | 現在(平成29年度) |
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