長野県の「あちむら」の「まんもう かいたくだん」と読むのだそうです。(今、社会の先生に確認しました。。。)
その当時、長野県から、満州・蒙古(中国~モンゴルにかけての地域)を開拓するために日本から移住した人々がいたのだそうです。 その数、長野県が一番多く、岐阜県もそれに次いで多く参加したそうです。私は恥ずかしながら、存じ上げませんでした・・・。
さて、本校には歴史研究部があります。県内の地域研究部員の皆さんと共に、合同で巡検に行って来ました。
他にも、中央構造線や河岸段丘なども見学しました。河岸段丘(かがんだんきゅう)というと、 (タモリ倶楽部とブラタモリをよく見る私には馴染みの言葉ですが、)一般的には耳慣れない言葉 だと思います。
河岸段丘:
川が流れていたところが流水によって削れ、平坦な部分と削れた斜面が交互に現れる、谷間のところ。
つまり我々が見上げている山あいの部分は、実は川が流れていたところであり、自分の足下が川底だったという訳なんですね!ロマンですね!
しかも、英語で言うと、”a river terrace”、リバーテラス。 テラスハウスのテラスです。 かっこいいですね!!
(少しでもおもしろさが伝われば幸いです)