・前史(土岐郡中央高校時代)
昭和24年 4月 1日 |
岐阜県土岐郡泉町、土岐津町、肥田村、三か町村学校組合立土岐郡中央高等学校(学校組合立下石分校と駄知町立駄知分校を含む)設立認可。 |
昭和24年 7月31日 |
岐阜県土岐郡泉町立泉中学校教諭 日比野泰 校長心得に補せられる。 |
昭和24年 8月15日 |
岐阜県土岐郡泉町立泉小学校の一部を仮校舎として土岐郡中央高等学校開設。 |
昭和24年 9月 1日 |
岐阜県土岐郡下石町、妻木町、ニか町学校組合立土岐郡中央高等学校下石分校を岐阜県土岐郡下石町立下石中学校に附設して開校。 |
昭和25年 3月31日 |
学校長心得 日比野泰 校長に補せられる。 |
昭和25年 4月10日 |
岐阜県土岐郡駄知町立土岐郡中央高等学校駄知分校を岐阜県土岐郡駄知小学校に附設して開校。 |
昭和26年 3月31日 |
土岐郡中央高等学校下石分校を土岐郡中央高等学校陶南分校と校名変更。 |
昭和27年 4月14日 |
本校の仮校舎を岐阜県土岐郡土岐津町立土岐津小学校の一部に移転。 |
昭和28年 3月31日 |
岐阜県土岐郡泉町、土岐津町、肥田村、三か町村学校組合立土岐郡中央高等学校(岐阜県土岐郡下石町、妻木町、ニか町学校組合立土岐郡中央高等学校陶南分校と岐阜県土岐郡駄知町立土岐郡中央高等学校駄知分校を含む)廃止。 |
・昭和28年4月~昭和63年11月
昭和28年 4月1日 |
産業教育振興の目的をもって岐阜県立土岐商業高等学校設置。高山高等学校長 岩井茂 本校校長に補せられる。岐阜県立土岐商業高等学校設置認可にともない土岐郡中央高等学校は同校定時制課程となる。学校組合立土岐郡中央高等学校陶南分校は岐阜県立土岐商業高等学校陶南分校と、又土岐郡駄知町立土岐郡中央高等学校駄知分校は岐阜県立土岐商業高等学校駄知分校とそれぞれ校名変更。 |
昭和29年 3月31日 |
土岐郡土岐津町南山に新校舎落成、仮校舎より移転。 |
昭和30年 2月 1日 |
岐阜県土岐郡八か町村(泉町、土岐津町、肥田村、下石町、妻木町、駄知町、鶴里町、曽木村)合併。土岐市となり、駄知分校及び陶南分校は土岐市立となる。 |
昭和30年 10月 |
校歌制定。第一期生合同作詞、古山新資教諭補作、松井辰三郎作曲により校歌を制定する。 |
昭和30年 12月30日 |
第二校舎竣工。 |
昭和32年 3月31日 |
第二運動場竣工。 |
昭和32年 4月 1日 |
学校長 岩井茂 大垣南高等学校長に転任し、大垣北高等学校教頭 山武比古 本校校長に補せられる。 |
昭和33年 2月25日 |
特別教室竣工。 |
昭和35年 5月23日 |
体育館兼講堂竣工。 |
昭和36年 4月 1日 |
学校長 山武比古 東濃高等学校長に転任し、船津高等学校長 長谷川和美 本校校長に補せられる。 |
昭和37年 10月 |
学校創立10周年記念式典挙行。 |
昭和38年 7月20日 |
図書館竣工。 |
昭和38年 11月 1日 |
第三運動場竣工。 |
昭和40年 3月31日 |
格技館竣工。 |
昭和40年 12月20日 |
商業実践教室竣工。 |
昭和41年 4月 1日 |
学校長 長谷川和美 岐阜西工業高等学校長に転任し、明智商業高等学校長 関屋健太郎 本校校長に補せられる。 |
昭和43年 3月 1日 |
簿記機械実習室竣工。 |
昭和43年 4月 1日 |
定時制課程の普通科を廃して商業料とする。 |
昭和44年 4月 1日 |
学校長 関屋健太郎退職し、本校教頭 水野一美 本校校長に補せられる。 |
昭和45年 7月10日 |
合宿所竣工。 |
昭和46年 4月 1日 |
学校長 水野一美 恵那高等学校長に転任し、養老女子商業高等学校教頭 伊藤正一 本校校長に補せられる。 |
昭和46年 4月 1日 |
商業科、事務管理科の2小学科設置。 |
昭和48年 4月 1日 |
商業科を廃止し経営科、経理科、情報処理科を設置し、事務管理科と合せ4小学科となる。 学校長 伊藤正一 岐阜女子商業高等学校長に転任し、中津商業高等学校教頭 松原 弘 本校校長に補せられる。 |
昭和49年 3月27日 |
産振棟:事務機械実習室、プログラミング実習室、事務実践室、情報処理実習室、せん孔実習室竣工。 |
昭和49年 10月12日 |
学校創立20周年記念式典挙行。 |
昭和50年 4月 1日 |
産振棟:タイプライティング実習室、簿記機械実習室、売買実務室、商品実験室竣工。 |
昭和51年 4月 1日 |
学校長 松原弘 中津高等学校長に転任し、斐太高等学校教頭 衣笠昌一 本校校長に補せられる。 |
昭和52年 3月27日 |
産振棟:商業実践室竣工。 |
昭和54年 4月 1日 |
学校長 衣笠昌一 斐太農林高等学校長に転任し、明智商業高等学校長 纐纈直祐 本校校長に補せられる。 |
昭和54年 11月30日 |
本館西半分:進路指導室、保健室、会議室、12普通教室竣工。 |
昭和56年 3月26日 |
本館東半分:校長室、職員室、事務室、放送室、印刷室、定時制職員室、生徒指導室、社会科室、図書館、司書室、資料室、視聴覚室及び準備室、生徒会室、9普通教室並びに渡り廊下及び付属施設竣工。 |
昭和56年 7月25日 |
第1校舎前小庭園竣工。 |
昭和56年 12月11日 |
昭和57年度以降の定時制課程の生徒募集停止が決定。 |
昭和57年 3月15日 |
産振棟西特別教室、被服実習室及び準備室、食物実習室及び準備室、物理実験室及び暗室、生物実験室及び準備室、理科講義室及び準備室、化学実験室及び準備室、書道教室及び準備室、音楽教室及び準備室並びに渡り廊下、倉庫、購買部室等付属施設竣工。 |
昭和57年 4月 1日 |
学校長 纐纈直祐退職し、坂下女子高等学校教頭 伊藤嘉吉 本校校長に補せられる。 |
昭和57年 10月30日 |
校門、第1グラウンド観覧席、ダグアウト等竣工。 |
昭和57年 10月31日 |
学校創立30周年記念式典挙行。 |
昭和58年 1月23日 |
新弓道場竣工。 |
昭和58年 10月31日 |
旧弓道場跡地に自転車置場及び通学道路拡幅工事竣工。 |
昭和60年 2月10日 |
定時制課程閉校式及び閉校記念式典挙行。記念碑「徳操」建立。 |
昭和60年 3月29日 |
体育館竣工。 |
昭和60年 3月31日 |
定時制課程を廃止する。 |
昭和60年 4月 1日 |
学校長 伊藤嘉吉 中津商業高等学絞長に転任し、岩村高等学校教頭 依田廉平 本校校長に補せられる。 |
昭和62年 12月17日 |
女子部室竣工。 |
昭和63年 4月 1日 |
学校長 依田廉平退職し、恵那高等学校教頭 市岡訓平 本校校長に補せられる。 |
昭和63年 11月28日 |
男子部室竣工。 |