「ホームルーム」という授業の名称に未だに違和感があるのは私だけでしょうか。
それ、「ルーム」やん。「部屋」やん、授業名ちゃうやん、と思うのです。
思い起こせば、小学校の時は「学級活動」、略して「学活(がっかつ)」という名称だったように思います。「学級」の「活動」なので、ド直球でしっくりきます。ですから、なんでホームルームっていうのかなぁとずっと思っているのですが、一説にはアメリカで1920年代に始まったものが日本に伝わった?ものなのだとか。・・・なるほど、アメリカで始まった英語の名称であれば・・・長いものには巻かれて、無理矢理納得しようかと思ったところです。
・・・というわけで、ホームルームの話題です。
昨日10月26日(木)、1年4組にてホームルームの研究授業が行われ、多くの先生方が授業参観をしました。
テーマは、「自分の名前について考える」ということで、自分の名前の由来を聞いてきて、お互いに交流しました。担任の先生の思いとしては、名前に込められた思いを振り返って、自分が大切にされていること、両親の暖かい想いなどを感じてほしかったそうです。
皆さんはどんな由来だったのでしょうか。興味深いです。
後半では、将来、自分が子どもに名付ける立場になったらどのような名前をつけるかについて意見を出し合って、思いなどを聞きあい、命名や名前というものについて考えを深めていました。
余談1。
写真素材、毎回教頭先生が撮って下さいます。教頭先生は背が非常に高いので、上から見下ろすようなダイナミックな写真を数多く用意して下さいます。
先日、「ドローンの(ような)アングル」と聞いてとうとう教室にドローンが飛ぶ時代が来たか、と思いましたが、比喩表現でした。という余談。
余談2。
私も以前、授業のために自分の名前の由来を聞いたことがあるのですが、親がアッサリと、
「お父さんの名前と似たような音の響きだし、韻を踏んでいるから」
と言い、そこに
「あと親戚のおじさんの名前にも響きが似ていて、韻を踏んでいるから」
と付け加え、言われている側としては、3段目のオチ要員として使われたような気がして微妙な気持ちになったことがあります。
といいますか、親戚のおじさんと音を似せる必要性、とは・・・(以下略)