インタビューは平成13年11月6日(火)に多治見北高校、小会議室にてインタビューをしました。
当時の工業バレー部はどんなチームだったんですか
当時昭和46年で地区1回戦も勝てない弱小チームでした。そこで、僕の負けず嫌いが出て、3年後にある岐阜インターハイで1位は当時負け知らずの岐南工業がいたから、2位での出場をめざし練習に入りました。(開催県は2チームの出場が認められていました。)
そして、3年間で2位となり初のインターハイ出場となったわけだ。
全国大会初出場
そして次の49年に、その宿敵岐南工業に勝ったんですよね。
当時、8年間不敗を誇っていた岐南工業に勝ったときのことは、今でも忘れることができないね。
質問がダブルかもしれませんが、多治見工業で一番うれしかったことは何でしょうか。
やっぱり、試合に勝ったときがうれしかった。どれを一番にといわれるとこまるが、初めて岐南工業に勝った時もうれしかったし、松阪工業に勝った時もうれしかった。
それでは逆に多治見工業で一番悔しかったことは何でしょうか。
それはやっぱり試合に負けるのが悔しかった。どの試合でもね。なかには11対2からの逆転負けもあったしね。
印象に残っているクラスとか生徒はいますか。
印象に残る生徒たちというのは、やはり、多治見工業バレー部の一番最初のメンバーだね。苦楽をともにしてがんばってきたからね。そのメンバーが今でもOB会の中心メンバーとして応援してくれる。
P1
次のページへ→