旧高山高校の沿革
高山実科高等女学校・高山高等女学校時代
大正 6 5.10 高山町立実科高等女学校開校(名田町)
大正 9 4.13 高山高等女学校と改称 定員本科200名 実科30名 補習科30名
大正15 7.18 校舎竣工につき移転(花里校舎)
昭和 2 4. 1 県立移管
昭和 7 10.15 創立15周年記念式典挙行
昭和16 3.31 定員を本科600名に改正
昭和18 4. 1 中等学校令施行につき実科2ヵ年制本科と変更
昭和21 2.25 勅令第102号により2ヵ年本科を3ヶ年制に改制
昭和22 5.23 創立30周年記念式典挙行
昭和23 4. 1 岐阜県高山女子高等学校に移行
昭和23 6.21 定時制課程設置(本校、上枝分校、高山分校、朝日分校)
岐阜県立高山高等学校(昭和23〜昭和32)時代
昭和23 8.18 岐阜県公立学校再配置により岐阜県高山高等学校と岐阜県斐太農林高等学校を統合して岐阜県高山高等学校開校指令
昭和23 9. 1 岐阜県高山高等学校開設。通常課程として、普通科、農業科、林業科、畜産科の課程を置き、定時制課程として農業科、被服科の課程を併置、又上枝分校には定時制課程として農業科、被服科の課程を設置
昭和23 9.28 岐阜県立高山高等学校と校名を変更
昭和24 4. 1 学区制実施。高山分校設置認可、定時制課程として被服科の課程を設置。朝日分校設置認可、定時制課程として農業科、被服科の課程を設置
昭和26 4. 1 高山分校を統合、本校に定時制課程として被服科別科を設置
昭和28 4. 1 上枝分校、朝日分校の農業科、被服科を普通科に改称
昭和31 4. 1 吉城高校全日制移行に伴い本校普通科学区一部修正
昭和31 7.29 校舎火災焼失
昭和32 1.13 火災復旧第一期工事(二棟)竣工
岐阜県立高山高等学校(昭和32〜)時代
昭和32 4. 1 高山地区高等学校再配置により岐阜県立高山高等学校として新発足。通常課程として普通科(家庭を主とする)、商業科、家庭科を、定時制課程として普通科、商業科、被服科、被服別科を設置(斐太高校の夜間部普通科・商業科を移管)
昭和32 10.11 火災復旧第二期工事(二棟)竣工
昭和35 4. 1 通常課程の普通科は普通科(女子)に変更
昭和36 7. 1 体育館(兼講堂)工事竣工
昭和38 4. 1 家庭科を家政科に変更
昭和38 4.23 商業科特別教室一棟竣工
昭和39 3.31 商業簿記室、商品実験準備室、売店竣工
昭和39 12.16 格技練習場および夜間照明設備竣工
昭和41 2. 1 全日制課程に衛生看護科を新設
昭和41 8. 1 衛生看護科特別校舎竣工
昭和42 8.30 運動部室(鉄骨2階建)竣工
昭和42 9.30 創立50周年記念事業として礼法室(洋間)増築竣工
昭和42 10. 7 創立50周年記念式典挙行
昭和42 10. 8 校地拡張1,184平方メートル
昭和43 4. 1 家政科1学級増
昭和44 3.31 家庭科調理室並びに衛生看護科生理微生物実験室竣工
昭和44 8.12 夜間食堂竣工
昭和45 4. 1 商業科を経営科、事務科の小学科制に移行
昭和45.12.15 泉水「希望の泉」竣工
昭和47 3. 1 産振校舎増築竣工
昭和47 4. 1 普通科1学級増
昭和51 4. 1 定時制商業科の募集を停止
昭和52 11. 6 創立60周年式典挙行
昭和56 4.28 新校舎第一期工事竣工(普通教室棟・実習棟)
昭和56 11.30 同窓会館竣工
昭和57 3.24 新校舎第二・三期工事竣工(管理・実習棟・体育館)
昭和57 4. 1 新校舎に移転
昭和57 10.21 創立65周年・校舎竣工記念式典竣工
昭和58 12.13 武道場竣工
昭和59 3.17 部室竣工
昭和59 4. 1 校訓を制定「向学、友愛、礼儀」
昭和62 9.16 弓道場竣工
昭和62 10.27 創立70周年記念式典挙行
平成元 2.25 トレーニングルーム竣工 校訓碑建立
平成 3 3.26 家庭科特別教室棟竣工
平成 6 4. 1 事務科を情報処理科と情報ビジネス科に学科改編
平成 7 4. 1 全日制普通科、男女共学となる
平成 9 10.22 創立80周年記念式典挙行 遊歩道、展望台東屋完成
平成12 12.10 第7回卒業生白川英樹氏ノーベル化学賞受賞
平成13 4. 1 家政科1学級減
平成14 4. 1 衛生看護科を募集停止し、健康福祉科を設置
平成17 3.31 岐阜県立高山高等学校の幕を閉じる
旧斐太農林高校の沿革
斐太実業学校・斐太農林学校時代
大正10 4.13 大野郡立斐太実業学校として、農林科乙部と実業教員養成所を併設し、創立
大正12 4. 1 県に移管し、岐阜県立斐太実業学校と校名変更、実業教員養成所廃止
大正13 4. 1 岐阜県斐太農業補習学校を併設
昭和 3 4.10 農業科甲部を併設し、学則変更
昭和 4 4.31 岐阜県斐太農業補習学校廃止
昭和16 4. 1 林業科を設置
昭和21 4. 1 岐阜県斐太農林学校(農業科、林業科)と校名変更
昭和23 4. 1 学制増設。岐阜県斐太農林高等学校(農業科、林業科、畜産科)
岐阜県立高山高等学校(昭和23〜昭和32)時代
昭和23 8.18 岐阜県公立学校再配置により岐阜県高山高等学校と岐阜県斐太農林高等学校を統合して岐阜県高山高等学校開校指令
昭和23 9. 1 岐阜県高山高等学校開設。通常課程として、普通科、農業科、林業科、畜産科の課程を置き、定時制課程として農業科、被服科の課程を併置、又上枝分校には定時制課程として農業科、被服科の課程を設置
昭和23 9.28 岐阜県立高山高等学校と校名を変更
昭和24 4. 1 学区制実施。高山分校設置認可、定時制課程として被服科の課程を設置。朝日分校設置認可、定時制課程として農業科、被服科の課程を設置
昭和26 4. 1 高山分校を統合、本校に定時制課程として被服科別科を設置
昭和28 4. 1 上枝分校、朝日分校の農業科、被服科を普通科に改称
昭和31 4. 1 吉城高校全日制移行に伴い本校普通科学区一部修正
昭和31 7.29 校舎火災焼失
昭和32 1.13 火災復旧第一期工事(二棟)竣工
岐阜県立斐太実業高等学校時代
昭和32 4. 1 岐阜県立斐太実業高等学校として分離統合し創立。通常課程として農業科、林業科、畜産科、建築科、木材工芸科、定時制課程として農業科、電気科、高山分校に定時制課程普通科、朝日分校に定時制課程普通科を設置
昭和33 3.31 本校の定時制課程電気科と高山分校の定時制課程普通科を募集停止
昭和33 4. 1 全日制課程電気科を増設
昭和38 3.31 定時制課程農業科を募集停止
昭和38 4. 1 全日制課程農業土木科を設置。木工工芸科を工芸科に改称
昭和45 4. 1 全日制課程生活科を増設
昭和46 3.31 朝日分校を廃校
昭和48 3.31 岐阜県立斐太実業高等学校を廃校
岐阜県立斐太農林高等学校時代
昭和48 4. 1 岐阜県立斐太農林高等学校として創立。全日制課程として農業科、畜産科、農業土木科、林業科、生活科を設置
昭和49 3.25 体育館竣工
昭和50 3.29 産振第1〜3棟、乳牛舎増築、秤量室竣工
昭和51 2.13 農業機具実習室および書庫・温室、肉牛舎、育成鶏舎、成鶏舎、農業機械室、肥料室、育林習室竣工
昭和51 12. 1 産振第1・2棟増築
昭和54 8.31 武道場竣工
昭和55 3.31 秀峰寮竣工
昭和55 5.13 同窓会館竣工
昭和59 2.15 産振第1棟を増築
平成元 4. 1 林業科を募集停止し林業工学科に学科改称
平成 3 4. 1 農業科、畜産科、生活科を募集停止し、生物生産科、システム園芸科に学科改編
平成 5 3.26 温室(2棟)竣工
平成 8 4. 1 林業工学科、農業土木科を募集停止し、環境科学科に学科改編
平成11 3.25 木曽馬厩舎竣工
平成12 10.22 80周年記念「斐農館」竣工
平成17 3.31 岐阜県立斐太農林高等学校の幕を閉じる
旧斐太高校通信制の沿革
岐阜県立斐太高等学校通信制時代
昭和23 2.29 岐阜県立斐太中学校に通信教育部併設
昭和23 4. 1 岐阜県斐太高等学校と改称
昭和23 8.18 岐阜県立斐太高等学校となる
昭和36 11. 学校教育法の一部改正により通信教育部が通信教育課程となり、制度上独立
平成10 5. 創立50周年式典を挙行
平成17 3.31 岐阜県立斐太高等学校通信制課程の幕を閉じる
飛騨高山高等学校の沿革
岐阜県立飛騨高山高等学校時代
平成17 4. 1 岐阜県立高山高等学校(全日制・定時制)、岐阜県立斐太農林高等学校(全日制)を統合し、併せて岐阜県立斐太高等学校(通信制)を移管して、岐阜県立飛騨高山高等学校(全日制・定時制・通信制)となる。経営科、情報ビジネス科を募集停止し、ビジネス科を設置。家政科を生活文化科に、システム園芸科を園芸科学科に学科改編。
平成19 4.1 健康福祉科を募集停止
平成21 4. 1 生活文化科1学級増
平成24 4. 1 生活文化科1学級減