心のバレー 

 

 

 

 

 


  


どうせ好きで始めたバレーなら、好きな仲間と共に心のふれあう楽しさを感じつつ、 

思う存分やろうじゃないか。




  どうせ好きで始めたバレーなら、「心だけなら日本一だ」と言い切れるすばらしい

 チームをつくろうじゃないか。




  どうせ好きで始めたバレーなら、悔いがないと言い切れるまで、とことん努力しよ

 うじゃないか。

 




1、真のチームワークと、見せかけのチームワーク

  心がふれあっていなければ、どんな小さなことでも「言いづらい」ことになり、

 心がふれあっていれば、かなりひどいことでも「言いやすい」のです。

  「仲のよいことの証拠は、けんかをしないこと」と信じるのはまちがいです。け

 んかをしないことは、仲の悪い証拠になっても、仲のよいことの証拠にはなりませ

 ん。相手を信頼していれば「そんなレシーブじゃつながらんぞ」「チャンスボール

 ぐらいしっかり返せ」ときつく言えるが、相手が「うらみに思うんじゃないか」と

 いう遠慮があれば、自分のミスでもないのに「ゴメン、ゴメン」などとつい言って

 しまうのです。憎しみをもたれるのが怖いとか、気に入ってもらえないだろうとか、 

敵意をもたれたらなどと、つい「言いたいこと」を心の底に閉じこめます。表面上

 だけ(特に周りの人から見ると)仲良くやっているようにふるまってしまいがちで

 す。

  ミスした選手には、「きつい一言」を言うべきです。いつもミスする選手は、似

 たようなミスをします。二段トスの追い打ちのミートをミスったり、サーブミスし

 たり、小さいアンダーのレシーブボールが大きすぎたり、チャンスのひらきが遅い

 とか、お見合いが多いとか・・・・それを見慣れている周囲の選手がおこらないのは、

 「あの子のあのミスは、いつものこと」という思いがあるからです。それこそ、冷

 たい接し方であり、おこらない理由が許せません。「あいつは、あーゆう奴なんだ

 から」「言ってもしょうがねえー」では、悲しいチームです。おこってやることが

 ほんとうの愛情であり、集中力をつくるためにもなるのです。きつく言ってもらえ

 ない人もおこらなければいけません。言われないというのは、周囲の人が、あんな

 程度の選手だという目で見ているのですから。

  仲間からきびしいコトバを言ってもらうには、それを受けとめる自分の広い心が

 必要です。本当に自分のことを思って言ってくれるんだという感謝の気持ちがない

 と、どうしても気になったり、少しキライになったりと、やはり感情のミゾができ

 てしまいます。お互いが、言ってもらう立場の人間として広い心を持つことが、真

 のチームワークを作るための第一歩です。心の小さい、自分の感情がコントロール

 できない人はチームプレーに向いていません。自分を変える努力をするか、やめる

 しかないのです。

  ここまで読めば、見せかけのチームワークが何であるかわかると思います。そし

 て、見せかけのチームワークでは、練習を続けることすら苦しいのです。

 




2、コートに飛びかうもの

  真のチームワークを作るために、「言いたいこと」をはっきり言うことが必要な

 理由はわかりましたが、人間ですから意見の食い違いは当然です。言いたいことを

 言えば、「ケンカ」もおきます。しかし、それでいいのです。

  チームによっては「ケンカ」に近い言いあいをすることもあります。まわりが見

 ていて、「あの二人は仲が悪い」とは誰も思いません。選手同士のケンカでも同じで

 す。

  「1日1回、コートのケンカで監督いらず」・・こんな練習は、おそらく緊張感の

 ある集中した練習になるでしょう。こんな練習ができれば監督はいりません。

  ふつうは、コトバでもケンカが苦手です。どうしてもケンカになると、過去のす

 べてが吹き出してしまうようなひどいケンカになるからです。そうなると本当に相

 手が憎くて終わるケンカになってしまいます。これは、ふだん気になった場面で言

 いたいことをがまんしているからです。言いたいことは、その場で言わないと、だ

 んだん心にたまり、ある時、すべてを言い合うようなケンカになって、二人の関係

 は終わってしまいます。

  ケンカを苦手とする理由のもうひとつは、「相手を負かすようなケンカ」をして

 しまうことです。相手を負かすことを目的にケンカをするのは、試合だけです。負

 かすことを目的にすれば、その相手は敵になってしまいます。相手を負かすような

 ケンカはダメです。相手のためを思ってのケンカでなくてはいけません。鬼手仏心

 というコトバ・・・「見かけではきつくあたっても、心は仏様のように相手を思い

 やるコトバや要求、相手のためを思ってきつく言う、苦しいことをやらせる」

  三つめは、聞く人の心です。自分をきたえてくれる「きついコトバ」に、ショッ

 クを受けないだけの強い心をつくる。心の底から「自分のことを思ってくれている

 んだ」と素直に理解できる心をつくることができないと、まわりは何も言ってくれ

 ません。うらみに持つような性格は、他人にはすぐわかるので、言いたいことを言

 ってくれないのです。

  この三つに注意すれば、愛情にあふれた「きびしいコトバ」がコートに飛びかい

 ます。もちろん「ほめるコトバ」「はげますコトバ」も仲間に対する愛です。こん

 なすばらしい愛にあふれた「コトバ」が飛びかうコートには、心のつながったボー

 ルも飛びかうのです。

 




3、言うべきか、言わないべきか。

  自分のプレーがじゅうぶんできないからと、何も言わない人がいます。あるいは

 ふだんからしっかり生活できてないので、人に言える立場ではないと考える人もい

 ます。でも、それは「逃げ」でしょう。言わなければ「自分も手を抜いていい」

 らです。コートのなかでも、練習以外でも何も言わない人は、だらしない自分を直

 す決意がなかったり、練習で手抜きをするための準備をしているようなものです。

  技術がヘタでも言う。そうすることによって自分で、自分をやらねばならない立

 場に追い込むことができます。いつも、自分で逃げ場をなくしておくことが大切

 す。手抜きできないように逃げ道をなくすことが、監督や上級生の役目では、そん

 なチームは息苦しく、自分のためになることはひとつもありません。

  たしかに知らないと言えないこともあります。何を言っていいのかわからないこ

 とは、たいがいできないプレーのことです。逆に言えば、言えるようにするために

 うまくなる努力をつんだり、フォーメーションや読みに関する先生の話を聞き逃さ

 ないことが選手の責任です。

 




4、バレーに取り組む原点

  言うことによって、自分が甘える逃げ道、いいわけや弁解がましいことをなくし

 たり、人のせいにすることがなくなります。言ったぶんだけ、自分のがんばり、行

 動にも責任をもつようになるからです。でも、それは積極的ではありません。自分

 がバレーをやる原点を大切にすれば、もっと積極的にバレーを楽しむことができま

 す。

  原点は、どうせ好きで始めたバレーなら・・・・最初の文章です。

  原点の、その2は、生きている時間を無駄にしないという考えです。コートのな

 かの勝負も、人生の勝負も「やり直しがきかない」という点では同じです。この心

 がまえがなくては、バレーどころか、自分の一生も無駄にしてしまいます。一日一

 日は、選手にとっては特別な日なのです。毎日が勝負であり、全力集中している選

 手にとって、一日一日は「やりなおしのきかない特別な日」であって、その心がま

 えが、生きている一瞬一瞬を無駄にしない「生き方の基本」を作るのです。常に全

 力投球しなければいけません。

  毎日が同じ日であり、一日一日が平凡で、お盆と正月を特別な日に感じてしまう

 のは、その人の生き方が平凡だからです。

  原点の、その3は、勝ちたいということです。普通の高校生がボワァーンと過ご

 している時間をコートの汗と涙におきかえるのですから、ゲームセットでエンドラ

 インに並ぶ選手が悔し涙を流す姿を見たくありません。勝つことには夢もあります。 

「絶対、全国大会へでる」と夢見るのも、バレーがあるからこその夢です。

  原点のその4は、健康に生まれ、五体満足で生きる自分への感謝、親や社会への

 感謝、恵まれていることへの謙虚な気持ちです。健康な人ほど、忘れがちな気持ち、 

を意識してがんばるべきです。恵まれている人ほど不平不満を言うことを知って、

 自分のがんばりに置き換えなくては、いつまでも「貧しい心」を持ったままで終わ

 りです。強くなっても謙虚な気持ちがなければ強さは、もろさに変わります。

  原点のその5は、バレーの素質に恵まれない自分を知って、発奮材料にすること

 です。恵まれなければ、あきらめるか、「よし、やるぞ。今に見ておれ。」と発奮

 してがんばるか、ふたつにひとつです。一番みにくいことは、「どうせ私はこんな

 人間、こんな程度の女です。それで結構。生れつきだから・・」と開き直ったり、

 自分に見切りをつけることです。

 




5、ダメな自分をもっとダメにする考え方

  親兄弟でも、心がつながらないこともあれば、赤の他人でも、コートの友情を通

 じてほんとうに心がつうじるようになります。何度も、そんな教え子を見ているの

 でバレーの指導は「生きがい」と言い切れます。

  しかし、バレーをやったり、あるいはスポーツさえやっていればよい人ができる

 というのは間違いで、ましてや、心がつがるまでには相当の苦労をともにしなくて

 いけません。半数くらいの人は、ダメな自分をもっとダメにしており、真の友を得

 ることができない場合もあります。

  一人よがりで友人ができにくい人は、「自分のことをわかってくれない」とか、

 「思っていることをわかってくれない」と感じているようです。こんなことは当た

 り前で、仲間といっても、もともと赤の他人なのです。ケンカもして、話し合いも

 して、とにかくお互いをわかり合おうとすることです。気を使ってもらうばかりで

 は、赤ん坊と同じで、対等な友人関係になりません。

  大切なことは、いつも、人のために何かをしてあげようと考えて生きることであ

 り、それが、与える愛です。与える愛は、最後は自分に返ってきます。「情け人の

 ためならず」という日本のことわざがありますが、人にかけた思いやりが、いつか

 はかえってくるという意味です。

  また、悩みや、痛みなどの理由があってがんばれない時は、仲間にわかるように

 しておかないと誤解を招くばかりです。むしろ痛くてもがんばるときの方が、何も

 言わなくてもわかってもらえるようになるチャンスです。

  ダメになるパターンでもっとも多いのは、2人以上でともにダメになってゆくパ

 ターンです。

  何人かの選手が集まって、ともにダメになってゆくパターンの代表的な例は、練

 習や、先輩・後輩・先生のぐちを言い合って、それを聞きあう仲間になることです。 

不平不満を言い合う仲間、陰口を言っては、それが共通の話題になっている仲間の

 なかで、知らず知らずにダメ人間になってゆきます。

  ぐちや不平不満は、つらいことや、正しいことからの「逃げ」です。「赤信号!

 みんなで渡ればこわくない」のといっしょで、手抜きやさぼり、ルール違反をする

 仲間、それだけが仲間としてのつながりという悲しい関係です。

  言い訳、弁解も同じです。涙はコトバにならない言い訳です。うれし涙、感動の

 涙は大切ですが、同情を求める涙は、自分の感情がコントロールできない人の涙で

 す。まわりは気を使うばかりで、泣いている本人はいつまでも成長できません。同

 情をさそいたいための涙は、ダメ人間へのはじまりです。

 




6、すばらしい選手になるために、すばらしい仲間を得るために

 

 @苦労をさがしてでも経験する

  もっとも大切なことは、苦労を迎えにゆく生き方です。あるいは、人のいやがる

 ことをすすんでやることです。

  親からもらったもので、もっとも大切なものは、自分の心とからだです。親も、

 自分の子どもの心とからだを大切にします。だから、親は、金や衣服や食物も十分

 与え、愛情もそそぎます。このように親からもらうものは、大切なものばかりです。 

しかし、たったひとつ、人間が成長するために必要なものを親はあたえてくれませ

 ん。それは、苦労です。愛情が深い親ほど子どもに苦労はさせません。

  親は、自分の子が恥をかいたり、損をしないようにと願って、「しつけ」はしま

 すが、輝く人間になるための「苦労」までは経験させません。もっとも最近は「し

 つけ」もできない親が多いようですが。

  なぜ苦労が大切なのでしょうか。それは、生きてゆくために自信と勇気が必要だ

 からです。苦労する日々がつづくと、誰でも、自分の弱さや甘さと向かい合うこと

 が多くなります。「自分の最大の敵は自分」というコトバがありますが、それくら

 い「楽」をしたがる自分、「わがまま」な自分というのはやっかいなものです。苦

 労をした人は、自分のギスギスした部分がだんだん削られて、「落ち着き」と「勇

 気」「自信」が身についていきます。こうしたものは、生涯にわたって、自分を支

 えてくれます。

  苦労とは、たいへん・・ということですから、ただ苦しんで生きるのとは違います。 

あえて苦しむ必要はありません。笑いと前向きな努力のなかで苦労を経験すればよ

 いのです。

  厳しい部活動は、自分を磨いてくれます。苦労する機会があふれています。今の

 ように、豊かでモノに恵まれたこの時代に、それこそ大きな地震でも起きない限り、 

苦労し、精神的に堪え忍ぶ場面などありえません。

  地震をひきあいにだしたついでに、次の毎日新聞の記事を読んでください。

 

壊した自宅から脱出した友人と1週間ぶりに連絡が取れた。彼は意外にも「感

 動した」と・・助かった人たちと救出作業をした感動である。迫る炎と余震の恐

 怖に命をさらしても助け合う人々のすごさ。「恐怖があったが、感動が心に残っ

 た」。阪神大震災では、温かいことばのやりとりにも感動があった。無料で品物

 を放出した食品店で「つらい時はみな一緒、何でも持って帰って」、ラーメン屋

 さんでは「水の続く限りタダで食べてや」、人々は「家はないが元気はありまっ

 せ」、「役所責めるより、わしらが力をあわせよや」・・・強さとユーモアを失

 わないコトバが心に響く。つらくてもなお心の一ヵ所に「余裕の引き出し」があ

 る。悲劇は百万、二百万の被災者の数だけある。しかし、心に残る温かいことば

 も同じ数だけあった。多くの被災者が「人の情けが身にしみた」と・・。抜粋

 

  苦労のなかで人の本当の姿も見えてくるし、人のすばらしさが磨かれると信じて

 います。苦しみにつぶされるのでなく、苦労のなかで自分を磨くのです。

  被災者の人々も、同じ境遇の人が多いからがんばれるのでしょう。一人ではつぶ

 れてしまいます。バレーも同じです。仲間とともに歩む道だからこそ、同じ苦労に

 価値ができるんです。

  豊かな時代にあって、誰でもお金さえだせば味わえる楽しさがそこらじゅうにあ

 ふれている反面、苦労はさがさないと見つかりません。

  星野富弘さんの次の詩も、何かを教えてくれます。

 

よろこびが集まったよりも 悲しみが集まった方が 幸せに近いような気がする

 強いものが集まったよりも 弱いものが集まった方が 真実に近いような気がする

 しあわせが集まったよりも ふしあわせが集まった方が 愛に近いような気がする

 

  ある監督さんが「苦しみはよろこびの貯金」とおっしゃいました。「バレーボー

 ルの練習では、なるべく楽しいことから逃げて、つらいことをどんどん迎え入れる。 

喜ぶのはゲームが終わって勝った一瞬ですから、その時までは、どんどん苦しいこ

 とを迎え入れる。さらに、一日一日の小さな喜びも使わないで貯金しておくのがよ

 い。」とおっしゃいます。

  いずれにしても、苦しいことから逃げて「うちは勝たなくてもいいんだよ」と言

 うのでは、せっかくのスポーツも何の値打ちもありません。勝とうとする道程にい

 ろんな価値がでてくるのです。勝つために「何でもする」とマズイこともあります

 が、とにかくバレーボールそのものが秘めている価値を掘り出すような努力をしな

 くてはいけません。

 

 A自分の考え方や行動から、自分を知る

  次に大切なことは、自分が自分を磨こうとしているのかを知ることです。一番よ

 くわかるのは、人の見ていないところでの自分の考えや行動です。

  たとえば、便所のゲタです。次に誰が使うかわからないけれど、誰も見ていない

 ところでゲタをそろえるか、そろえないかは、自分を磨こうとしているか、いない

 かの違いです。ゴミを拾うのも同じです。誰が捨てたかわからないゴミを見たとき

 に、いつも拾っている人だけが、本当にそのゴミが気になるようになるのです。他

 人のいやがることを、しかも、誰も見ていないところでできるかどうかです。

  練習、つまり努力の姿勢もこのことと同じで、言われたことだけをやる一生懸命

 な選手は日本中にいますが、+α(プラスアルファ)の努力ができる選手は、それ

 ほどいません。本当に自分を磨くのは、+αの努力であることをまったく知らない

 のです。自分の内から湧きあがってくるのがわかるくらいの「やる気」がないとダ

 メです。言われてからやるというのでは、やる気とは言いません。今できないこと

 をできるようにするんだ、という執念に近いものが必要です。できることをやって

 いるだけでは、いつまでたっても不可能は不可能なままです。不可能を可能にする

 ための第一歩は、選手自身の「やる気」です。これも、他人からは見えない心の中

 のことですから、最初に言った「人の見ていないところでの自分・・」がすべてな

 のです。夜、一人で走ることも同じようですが、大切なのは、心の中です。

  人が見ているところでは、もっとよくわかります。自分を磨くことを知っている

 選手は、人が見ている場面では、必ず自分に勝った証明として、すごい意地を見せ

 ます。人が見ているところでやり始めたことは、最後までやりぬきます。苦しくな

 っても、逃げや弱み、痛みはかくしきろうとします。人前で疲れた顔、疲れた様子

 は絶対見せず、笑顔を何よりも大切にがんばります。ミスをすれば、徹底的に直し

 の練習をやります。ポジション争いを大切にして、レギュラーをとりコートに立と

 うとします。控えであっても、使ってほしいというアピールをします。とにかく、

 シラけることは、自分を磨くために、もっともマイナスになると知っています。

 

 B人間の可能性は無限であることを知る

  自分を磨くためには、人間の可能性は無限であることを知らねばなりません。今

 の自分だけを見てあきらめるのは、バラの種(タネ)を見て「トゲがないからバラ

 じゃない」と言うようなものです。たしかに草花は、将来どうなるかがわかってい

 ますが、人間は無限の可能性を秘めています。不器用でも、少しずつ覚えてゆくタ

 イプが、可能性を無限に広げます。天才は、天からさずかった才能の範囲しか可能

 性がないのですから有限です。しかし、努力することを覚えれば、無限の可能性が

 広がるわけです。

 

 C基本を身につける、「人間はいつも下りのエスカレーターに乗っている」

  自分を磨くためには、基本を身につけることが大切です。どんなことでも、いつ

 も心のなかで「この基本は何か」を考えることが大切です。「あいさつ」であれば、 

基本は「自分からあいさつすることが、相手にしてもらうより何倍も価値がある」

 と知ることです。ことば使いの基本は敬語です。敬語で冗談が言えるようにならな

 ければなりません。このように、すべてにわたり、いろいろな基本があります。

  謙虚な姿勢も、また同じです。人間はいつも、甘え、さぼり、弱さ、楽をしたい、 

自慢したい、ぐち、陰口、不平不満・・・・・・など、精神がレベルの低いほうへ向かう

 傾向があります。これを「いつも下りのエスカレーターに乗っている」と考えてく

 ださい。自分をダメと決めるのはいけないことですが、ダメになる可能性も持って

 いると謙虚にとらえるべきです。バレーもおなじです。基本のパスをおろそかにし

 ては、負けの原因をつくることになります。なんでもない平凡なボールの処理に全

 力を集中することも基本です。もっともダメな選手は、毎日の練習が同じだと思い

 込んでいることです。いつも新鮮な気持ちで練習にのぞめなければ、すでに、下り

 のエスカレーターに乗っているのです。そんなチームは永久に勝てません。

 

 D平凡をどう考えるか

  自分を磨くためには、平凡なことをバカにしないことです。なんでもないボール

 を一生懸命処理する選手は、いつかファインプレーをするようになります。しかし、 

本人は、最初からファインプレーをしようと思って練習しているわけではありませ

 ん。落ちたボールも追いかける練習は、一見無駄な動きですが、無駄をくりかえす

 ことにより、カンが働くようになり、いつかファインプレーと受けとられるプレー

 をするのです。しかし、本人は、ただ一生懸命やっただけと考えています。つまり

 平凡な練習に100 集中すること自体が、すでにファインプレーなのです。

  その反対に、平凡なことを適当にやる選手は、必ず失敗します。簡単なことも必

 死にやらねば成功しません。特にプレッシャーのかかった場面では、パス一本が明

 暗をわけます。また、平凡だからといって普段やらなくて、ゲームでミスの原因に

 なるのは声です。大声をだして練習する、仲間の名前を呼んでプレーする、こんな

 平凡なことを一生懸命やっているチームが日本一になるのです。

 

 E徹底力を身につける、信じることを覚える

  自分を磨けない人は、人を信じることができない人に多いようです。仲間、親、

 先生(監督)・・・・を信じることができないと、「どれだけ、努力してもこんなチー

 ムじゃ・・」「親が・・・・だから」「こんな監督じゃできない」と理由をつけてさぼ

 るのです。自分の努力不足を、他人の批判にすりかえてしまうのです。

  よく考えてみましょう。出会いを大切に生きる人は、人生を何倍も充実させるこ

 とができるのに、会う人、会う人の批判ばかりでは、いつまでも自分にとってすば

 らしい人には会えません。監督は、生徒がダメだからといってよそから借りてくる

 わけにいきません。生徒も、監督がダメだからといって、代わりの監督を見つける

 わけにもいきません。お互いに出会いを大切にして、監督は生徒を、生徒は監督を

 信じてがんばるしかないのです。人を信じることが第一歩です。

  信じることの証明は、言われたことをどれだけ徹底してやっているか、どうかで

 わかります。体力や技術のほかに、徹底してやる力・「徹底力」が、すごい力とな

 り、それがチームを支え、そして勝利をもたらしてくれます。

  監督は、自分の教えを生徒が徹底してやってくれることを信じ、生徒は「先生は

 わたしたちを信じ、わたしたちを成長させようとがんばってくれている。」と信じ

 ることが普通です。信じることは普通であって、それがなければ、どんなに淋しい

 人間関係か想像もつきません。普通に信じることができなければ、何もしない方が

 ましというものです。

 

 F自分を磨くためには、苦しいときの笑顔を本当に大切にする。

  阪神大震災の新聞記事でもわかるように、苦況に立たされたときに人間の本性が

 わかります。練習も同じです。夏の厳しい暑さ、冬の寒さ、長時間の練習、しから

 れた時、体調が悪いときなど・・・・いろんな場面で、その人の性格がムキ出しになり

 ます。負けているときに負け犬のような情けない表情をするのも同じです。勝った

 時に自慢し、感謝の気持ちを忘れるのも同じです。こういった感情が、そのまま吹

 き出す人は、周囲の人がもっとも気を使うタイプです。逆に、感動や喜び、励まし

 やなぐさめなどの感情がストレートに表現できる人は、みんなからも愛されます。

  自分の感情をコントロールすることは意識しないと、いつまでたっても直りませ

 ん。努力さえすれば、練習のなかで解決する方法があります。それは、苦しいとき

 の笑顔です。それも、もっともつらい瞬間に見せる笑顔、必死つないだ瞬間の笑顔

 が大切です。きつい練習がすんでしばらくし休んでからの笑顔では、価値が半分に

 なってしまいます。

  苦しいときの笑顔、その表情はくじけそうな仲間に「がんばり」を与えるもので

 す。ですから、苦しいときに笑顔をつくることは、チームの全員の約束になるべき

 です。その笑顔こそ、チーム全体の財産にもなるが、その本人にとっても一生の宝

 になります。自分の心のなかにいる「もう一人のわがままで弱い自分」をコントロ

 ールできたことの証明です。大人になってからでは、コントロールしにくいもので

 す。大人でも短気で、ふてくされる人もいます。「自分の心にいる、もう一人のわ

 がままな自分に負けた」結果です。

 

 G聞き上手、しぼられ上手、しかられ上手

  自分の感情がコントロールできるようになれば、自分の表情も工夫することがで

 き、いきいきと人の話に耳を傾けられるようになります。直立不動で、目をそらさ

 ずににらむだけでは、話す人も、ついつまらない話やお説教をしてしまいます。聞

 き上手になれば、相手から感動する話、いきいきとした内容、楽しい話を引き出す

 ことができます。聞き上手は、笑顔と同じく、相手のもっともよいところをひきだ

 すのです。ただし、目はそらしてはいけません。失礼にあたります。

  また、声やムードの作り方ひとつで、しぼられ上手になることも同じです。練習

 が「きついけれど楽しい」のは、先生でなく「しぼられ上手サン」のムードがつく

 りあげるのです。きつくて苦しいバレーは長続きしません。

  しかられ上手というのもあります。しかられても、ふてくされない選手だけが、

 しかられ上手になれます。しかられることは損ではありません。しかられた選手の

 「なにくそっ!」という反発力を期待してのことなのです。あるいは、しかられて

 「伸びる素質」を認められているのです。しかって、ふてくされる人や、がんばら

 ない人はしかられません。

 

 Hチーム全体が集中するためのテクニックをつくる。その中で自分を磨く。

  一人一人がしっかりしても、チーム練習のなかで集中したムードができなければ

 気合いが抜けてしまいます。お互いに自分を磨く場として、チームのムードをつく

 る演技に撤しなければいけません。集合をスピィーディーにするだけでなく、「一

 生懸命集まって、先生の話に集中しますよ」という演技で足音を少し大きめに立て

 ると、それだけで練習のムードは違ってきます。

  返事は、大きいだけでなく、いかに短く切るかで集中力がかわります。あいさつ

 も同じです。それだけで気合いが違います。練習中は叫ぶような大きな声をだす人

 がいてもいいでしょう。常にこのような演技を意識しながら、ムードづくりにここ

 ろがけます。そのムードの中で練習すると自分の磨き方もかわります。

  ランニングの掛け声も、スパイク練習、レシーブ練習の掛け声も「一工夫」ほし

 いものです。

 

 I自分を磨けば磨くほど、磨かれた相手に知り合える

  同じバレーをやる仲間として、合宿の仲間のチームだけでなく、県内のライバル

 や、対戦する相手に対して「尊敬と親しみ」をもつことが大切です。お互いに一生

 懸命やっているのですから、相手を大切にしないのは「自分のがんばり」を軽く見

 ることと同じです。

  他校の保護者の応援を見ていると「身内のえこひいき」で、時には相手をバカに

 したような応援が見られます。勝つにしろ負けるにしろ、試合相手の学校は同じバ

 レーボールに打ち込んでいる仲間ですから、相手チームを尊敬し、誉めたたえるの

 は、「わが子のがんばった値打ち」を認めることとして考えてほしいものです。

  強くなればなるほど、強い相手と闘い、すばらしい人柄になればなるほど、すば

 らしい人と巡り合えます。そんな時には、自分の運を喜ぶとともに、自分のがんば

 りをほめてもよいでしょう。ただし、それまでには、支えてくれたすばらしい仲間

 や親、先生がいるのですから、感謝を忘れるようでは「すばらしい人」とは言えま

 せん。

  自分を磨くために必死に取り組む練習は、他人が感動するくらい美しい姿でなく

 ては本物ではありません。すべてを賭けた勝負は、見る人の心を釘づけにするほど

 の勝負でなくてはいけません。あっさり負けるような勝負は、練習から見なおすべ

 きです。そんな練習を続けるチームに、終生のライバルとなるチームは出現しませ

 ん。

 

 J人と人の間に飛ぶボールの意味

  次に同じバレーボールでつながる仲間とプレーについて考えてみましょう。

  バレーボールのつなぎは、単なるボールのつながりではなく、心をのせたボール

 が、次の人へむかって飛んでゆくのです。おおげさかと思うかも知れませんが、単

 純な事実でそのことがわかります。

  ほとんどつっ立ったままの姿勢で、チャンスボールなどを、低く速くセッターへ

 送ると、セッターはたいへんです。あるいは、アタッカーが打ってブロックされた

 ボールをカバーしないで簡単に床に落とせば、次の1本を打つ時のプレッシャーは

 たいへんです。ひとつ前のプレーや、次のプレーがいいかげんであれば、次の選手

 は苦労します。反対に、ヒザを深く曲げて柔らかいボールをつくるとか、全力を集

 中してのカバーやつなぎができれば、仲間の次のプレーや精神面はかなり楽になり

 ます。声や心の面でも同じことが言えます。つまり、自分が苦しめば仲間は楽にな

 り、自分が楽すれば仲間が苦しむことになります。

  苦しい姿勢からはつなぎやすい質のボールが生まれ、楽な姿勢からは雑なボール

 しか生まれません。適当な構えからは、いいフォローができません。次のコトバを

 大切にしてください。「心つながらずしてボールつながらず、ボールつながらずし

 て勝利なし」

  信じられないようなつなぎは見る者を感動させますが、二人はつないだ一瞬、心

 のなかで、同時に「やった」と感じます。バレーの本当の楽しさです。誰でもつな

 げるような甘いボールをつないで、本当の楽しさと言ってほしくはありません。バ

 レーボールを始めた以上は本物の楽しさを味わってほしいと思います。

 

 K認め合うこと、尊敬すること

  自分を磨くためには、自分の仕事、自分の役割を全力でやることです。責任をも

 って、自分の仕事にむかうことによって、同じように全力で責任を果たそうとして

 いる仲間を誇りに思うことができます。これは、バレーだけでなく、家庭でも、会

 社でも基本になります。この「お互いが全力でやっている」という認め合いが、チ

 ームワークの基本です。認め合う関係が信頼を生み、「真のチームワークづくり」

 をすすめてゆく力となるのです。

  がんばっている姿を認め合うことの逆は、人の欠点を口にすることです。チーム

 ワークをこわす原因は、人の欠点を口にすることと、全力をださないことです。人

 の悪いところばかりみる人は、自分でも自分の欠点しかみえません。

  先輩や後輩についても同じです。自分たちだけで人の気持ちのわかるチームづく

 りをするならば、自分のことだけで精一杯の人間ではいけません。チームが「明る

 さと強さ」という二つ魅力をもつためには、先輩・後輩の気持ちのわかる人になら

 なければいけません。先輩にとって、後輩の選手は「日本で、いや、世界で一番か

 わいい後輩」であり、その後輩のために、先輩がしてあげられること、教えてあげ

 ることは何か?を考えてやるべきです。

  後輩にとって先輩は、「もっとも誇りに思い、尊敬できる先輩」であり、尊敬す

 る先輩のためにしてあげられることは何かを考えて行動すべきです。

  これが、同じチームで、同じバレーボールにかけて、完全燃焼しようとする先輩

 後輩の本当の関係です。そのチームでの先輩・後輩の出会いのなかに、つまらない

 上下関係があるとすればさみしことです。

  せっかくの出会いをかけがいのないものにしていこうとする努力がなかったら、

 つまらないバレーボールになってしまいます。

 

 L自分を磨く機会を大切にする

  自分を磨くこと、魅力あるチームづくりについて書きましたが、自分を磨いたり

 自分のカラを破る機会を逃さないようにすることも大切です。練習以外の場面でも

 自分を考え、自分を変えてゆく機会があります。いくつか紹介します。

  たとえば、遊び、勉強をおろそかにしない。どちらをやるにしても全力で取り組

 むことが大切ですし、どちらもやるというバランスが大切です。また、クラスでも

 頼りにされるような人はコートでも活躍する人です。

  遠征先で、ホームスティで知らないお宅にお世話になり、食事や会話を通じて交

 流することがあります。勇気をふりしぼり心を開くこと、礼儀作法をキチンとする

 こと、そして、会話を交わし「また、ここにもすばらしい人達がいて、巡り合うこ

 とができた」と感じることがすごい財産になります。ましてや、県外の生活は自分

 の育った町とは違う習慣もあり、知っていることが広がります。

  一人で何かをやることも、いいチャンスです。駅、郵便局、銀行、警察、役場、

 病院・・・・どこへ行っても、自分の手足、話で解決する。自力でできることが大切で

 す。人前で歌ったり、大人の接待ができたり、宴会の進行ができたり、かくし芸を

 やったりすることでも、違う自分を作ってゆけます。

  何でもいいから、一流に触れることも大切です。絵、歌、文学、映画、一流とい

 われる人の話、一流の芸・・・・感動は自分をつくります。「すごい」と思うことが大

 切です。すごいことをする人間の、自分もその一人なんだと考えることです。

  このようにいろんな経験と、いろんな人との出会いを大切にすることは、自分を

 大切にしていることになります。その出会いがきっかけで「終生の友人」となった

 り、あるいは結果として1回かぎりの出会いとなるかも知れないが、バレーで磨か

 れた「ひらけた心」がないと、出会いも「すれ違い」で終わってしまいます。

 

 Mゲームセット

  試合と同じく、高校でのバレーボールもいつか終わりがきます。しかし、自分が

 選んだ道をとことんつらぬいた喜びも残るだろうし、苦しんだことがあとになれば

 よき思い出となります。ゲームセットで、賞状を手にするか、しないかは単なる結

 果にすぎません。しかし、心のバレーボールをつらぬき、途中でやめずにゲームセ

 ットを迎えれば「大勝利の青春」という心の優勝旗が残ります。自分も育ち、仲間

 も成長する3年間は「人が育つためのサジ加減」を教えてくれるはずです。厳しさ

 と優しさの「サジ加減」・・本当の『愛』を教えてくれるバレーボールの仲間たち、

 本当の『愛』・・・・「人が育つためのサジ加減」を財産に卒業できれば、バカな母親

 になることはありません。