校 章                                 
 
岐阜県立揖斐高等学校 1949(昭和24)年4月1日 ~ 現 在
 1907(明治40)年の棚橋衝平の私塾「天籟(てんらい)塾」が、1912(明治45)年2月、私立天籟中学校と改称し、1919(大正8)年4月廃校し、揖斐農林学校に引き継がれる。そこで、この棚橋家の家紋の「五三の桐」に「高」の字を載せて校章とと定めた。1949(昭和24)年5月26日、講堂に全校生徒を集め、校章の図柄の説明と制定の事由を説明し、生徒と教師の総意のもとに制定された。
  岐阜県揖斐農林高等学校 1946(昭和21)年10月1日~1949(昭和24)年3月31日
*1948(昭和23)年4月1日「岐阜県揖斐農林学校」から「岐阜県立揖斐農林高等学校」と改称
 ペンを稲穂で包む意匠。この校章は昭和23年に定められたものの、昭和24年には学区制実施により、総合制高等学校に改組されて、ほとんど世に出ることなく次の校章に変わった。
岐阜県揖斐実業学校 1924(大正13)年4月1日~1946(昭和21)年9月30日
 学校名「実業」のうち「實(実)」の字を3つの円が取り囲む意匠。制定の詳細については校誌にも触れられていないため詳細は不明。
  揖斐郡立揖斐農林学校 1919(大正8)年4月1日~1923(大正12)年3月31日
*1923(大正12)年4月1日 岐阜県立に移管「岐阜県揖斐農林学校」と改称
 「農」の「木」の字を長くし、左右から1本ずつ取り巻くように囲み、それが「農林」の校名を表す意匠。
 
参考:校誌『揖斐高四十年』『創立50周年誌』『揖斐高校六十年』『城台七十年誌』『城台八十年誌』