1年生を対象に、多様な進路選択に対応するため、一時間目は、基本的な表現のルールを学ぶことを目的に実施しました。次の週の2時間目は、作文と小論文の違いを知り、課題をとらえ意見を書く練習を実施しました。
どのクラスも静かに取り組み、一時間目はプリントの問について答えを記入し、原稿用紙の基本的な使い方を学びました。二時間目は、「メル友について」賛成・反対の各立場から自分の意見を構築する練習に真剣に取り組む姿勢がみられました。
1年生全生徒
平成20年1月10日(木)6限 総合的な学習の時間
平成20年1月17日(木)6限 総合的な学習の時間
各HR教室
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私にとって「メル友」は大切な存在である。理由は、いくら顔が分からない人でも、困っている時に、第三者の視線で相談にのってくれるし、暇なときはメールの相手になってくれるからだ。しかし、アドレス悪用などといった怖い面もある。実際に私もアドレスを悪用されたことがあり、とても嫌な気分を味わった経験がある。だから簡単に人を信用してアドレスを教えるのはよくないと思う。
さて、今はサイトを通してメールができる時代である。サイトを通さず直接メールする時は、相手を確かめた上でした方がよい。
だから、高校の友人は、顔も性格もわかり、信用できるので、一番良い「メル友」だと考える。
私は、「メル友」というのは、よくないと考える。その理由は二つある。
一つは、顔や年齢が分からないということだ。実際に会った事がないため、文字だけでだませたりできるので、恐ろしいと思う。
また一つは、メールを通して親しくなり、実際に会う約束をして会ってみると、問題が発生することである。最近、新聞やテレビのニュースで「メル友」が殺害されたという事件を聞いたことがある。そういうニュースを聞くと、間接的な関係は持ってはならないと思う。
このような悪い点が多いメル友は、避けた方がよいと私は考える。
私は、数多くの友人や家族などとメールで会話をする。そんな生活を送っている中で、メールという意志の伝え合いが、決して良い面だけではなく、悪い面も持ちあわせていると考えている。
メールは、場所や時間に関わらずいつでも利用することができる。その点では、緊急時の時には、大変便利なものの一つである。私の場合は、部活が終わった後や外出先での家族との連絡でよく利用する。
また、メールにはお互いの生活や仕事の中でのストレスを解消してくれ、会話をする機会が少ない時の埋め合わせにつながるという利点もある。
例えば私が先週、部活の事で悩んでいた時、それを解決できたのは一人の友人と交わしたメールである。悲しい時、辛い時、悩みがある時、様々な思いをメールを通じて相手と共有し合う中で、いろいろなことを得る。そのようなとてもよい機会を作るのがメールであり、メル友であると私は考えている。
しかし、メル友やメールには良い面だけではない。私は、メールを利用し始めたばかりの頃、大きな失敗をした。ある日いつものようにメールのやりとりを友人としていた。私はその人の顔が見えるわけでも声が聞こえるわけでもないのに、きつい言葉を一枚の画面にうって送信してしまった。それによって与えられた相手の傷は予想以上に大きく深いものであった。この体験を通して、慎重に考えてからメールをするようになった。
だから、メールを利用していく中で、良い面と悪い面をしっかりと理解した上で使う必要があると私は考える。