校章について

kousyou

校章の由来

明治32年、当時斐太中学校の図画科の担当であった田島稲三氏の考案によります。『中』の字を基調として『蜻蛉島』(あきつしま)に雄飛せんとする意図を込めました。大町桂月(おおまち けいげつ)・幸田露伴(こうだ ろはん)らから高く評価されたと伝えられます。

「蜻蛉島(秋津州)」について

秋津(アキズ:アキツは平安以後)とはトンボの古称。蜻蛉島は、大和の国の枕詞。(蜻蛉とは、トンボやカゲロウを指す。)古代日本では蜻蛉は稲穂の精霊とされ弥生時代の銅鐸などにも描かれた神聖な虫でした。
蜻蛉島(秋津洲)とは大和の国、または本州、または広く日本国の異称。日本書紀 卷第三 神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)-神武天皇-の記述の伝説に由来します。その伝説の訳は次のようです。

神武天皇が即位して31年目の夏5月乙(きのと)の酉(とり)の一日(ついたち)の日に天皇が大和の国をお見回りになられました。そのときに腋上(わきがみ)のほほまの丘にお登りになられて、大和の国を眺められて「なんとすばらしい国を手に入れたことだろう。狭い国ではあるけれども、蜻蛉が交尾をして飛んでいくように山々が続いて囲んでいる国だな。」とおっしゃられました。このことが大和を秋津洲というようになった起こりです。

また、古事記の雄略天皇の記述の中に『(前略)そらみつやまとの国をあきず島といふ』が見られます。

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