
今年の芸術鑑賞会は、第二次世界大戦中に、6000人のユダヤ人の生命を救った杉原千畝さんの生涯を劇化した「センポ・スギハアラ」を、劇団銅鑼の公演で鑑賞しました。
杉原千畝さんは岐阜県八百津町の出身で、昭和15年にリトアニアの日本領事館に在職中、ナチスドイツに迫害されていたユダヤ人にビザを発給し、尊い命を救いました。
劇団銅鑼はこの演劇を’92年に初演した後、日本国内を始め、ビザ発給の地リトアニアやニューヨークでも上演し、それぞれに高い評価を受けています。
【あらすじ】
ユダヤ人のヤンクル家とメンデル家の人たちは、ナチスの手を逃れて、難民救済会のデビッドの助けで、リトアニアの首都カウナスのアパートに潜むことが出来た。
しかし、各国の領事館は早々と閉鎖してしまい、残されたのはまだ閉鎖していない日本領事館から通過ビザを発給してもらい、ソ連を通過してアメリカに逃れる道だけだった。
ユダヤ人たちは日本領事館に殺到し、杉原領事は本国にビザを発給してもよいか打電したが、その返事は「発給スルナ」ということであった。ユダヤ人たちは千畝に「タスケテクダサイ」と訴え、千畝は当時の日本政府の指令に反して、ビザの発給を決意した。ヤンクル、メンデル両家の人々も、ビザを求めて日本領事館に出かけたが・・・・・。

杉原千畝についての芝居。そう聞いた時、ある光景が私の脳裏に浮かび上がってきました。それは、中学三年の岐阜新聞学力テストの問題用紙でした。そう、国語のテストにでたのです。確か、奥さんの手記だったような気がします。場面は、杉浦さんがビザを発行するか否か、悩んでいる所でした。
それを読んだ時、私は、凄く優しく勇気のある方なんだな、と思いました。が、結局その程度で、特に興味を持つでもなく、そのことは頭の奥底に沈んでいました。それが、こんな形で再び現れるなんて・・・・。なんかすごい、と変なところで感心してしまいました。そして、その劇が上演されるのを楽しみにしていました。
ところが、一つ問題点が発生しました。私はこういった歴史の事実に基づいて創られた劇というのが、大の苦手だったからです。こういう事があって、それでこういう事件が起こって、それである人物がどうした、こうした・・・・。まるで教科書みたいな印象を、どうしても受けてしまうのです。舞台で、ある役を演ずるということは、その人物の人生の一部を生きることである、と私は思っています。が、こういうものを観ると、何かうそ臭い、と思ってしまうのです。正直言って、つまらなかったら嫌だな、と思ってました。
当日、そんな気持ちを胸に抱えたまま、私は幕が静かに上がるのを見ていました。その時、身体がゾクゾクするのを感じました。舞台では役者さんが演技しています。きっと、その緊張感が私にも伝わったのだろうと思いました。あれ、結構惹きつけられているじゃない!自分でも驚いてしまいました。これまでの心配事をよそに、私は笑ったり、悩んだりと、まるで自分が登場人物の一人になったような気になっていました。隣の席にいた友達が、何やってるのという視線を、送ってきたほどです。
幕が降りきってしまうと、私はすごく満足した気持ちになりました。改めて、杉原千畝の偉大さ、その勇気を感じ、素晴らしい方なんだなと思いました。
演劇部は、今後の舞台の参考にと、後片付けを手伝うことになりました。よく見ると、スタッフとして働いているのは、さっきまでは役者として舞台の上で演技をしていた方々でした。みなさん汗びっしょりでしたが、てきぱきと仕事をし、満足げな笑みをしていました。それはきっと、自分が舞台の中で、その人物として生きたのだ、という達成感からくるものなのだろうと思いました。私は、とても羨ましく感じました。いつか、また私に役者というチャンスが回ってきたら、私は舞台の上で、思いっきり生きてみたいです。
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