白線流しの陰に

白線流しの様子

 岐阜県高山市の県立斐太(ひだ)高校で卒業式 のあとに行われる『白線流し』で、学帽の白線などを学校の前の川に流しながらうたわれる歌の一つに『巴城(はじょう)ケ丘別離の歌』があります。

 『友よ 試みに合崎橋畔に立ちて母校斐高を顧みよ・・・』 という惜別の辞に続き 『巴城 ケ丘に登り得て 春秋ここに三星霜・・・』と切々と吟ずる名曲です。作者不詳だったこともあり、長い間、 巣立ちの思いを託した歌と見られていました。(「巴ヶ丘別離の歌」を聴く

 ところが最近になって作者が明らかになり、戦に赴く友を送る歌であ ることが分かりました。作詞作曲し た名古屋市東区の会社役員河内敏明さん(71)は、敗戦の昭和20年旧制斐太中学の卒業です。『3年生のころから、友の何人もが予科練などに志願していきました。4年のとき、彼らは特別帰郷し、軍服姿で学校を訪ねてきました。そして去る際に、校門そばの合崎橋のたもとで直立不動の姿勢をとり、巴城(学舎)に敬礼するのです。その姿を教室の窓から眺め、強い感情に揺さぶられてこの詩を書き上げ、ギターで曲を付けました』

 『私は、それを昔からの白線流しの歌だと偽って級友らに教え、卒業の日、橋 の上でうたわせました。 一部の友は私が作ったことを知っていましたが、黙ってました。その後もうたい継がれたのは、詩に戦争を思わせるものがなく、また、読み人知らずというロマンのせいでしょう』

 河内さんの詩は、斐高が斐中、三星霜 が四星霜となっているほかは、今の歌詞 と変わりません。

 卒業すると河内さんは進学のためすぐに上京、一夜で10万人が亡くなった3月10日の東京大空襲をはじめ、度重なる空襲に追われました。『生と死が隣り合わせの青春でした』 と河内さん。

 あれから54年。今年も3月1日、白線とともに『別離の歌』が川面を流れます。

(中日新聞より 許可を得て掲載)