岐阜高等学校創立138周年
「生徒諸君への手紙」 (平成13年12月17日発行による)はじめに 来年度より、学校の日課が「65分授業×5限」の体制になるということは、先日、校長先生からお話があったとおりです。 単位時間が長くなるので、「いやだなー」と思った人もあるでしょう。 反対に、6時間の授業が5時間になるので、「助かった」と思った人もあるかも知れません。 「部活はどうなるのだろう」と不安を覚えた人、始業時間やお昼休みの心配をした人もいるでしょう。 今日は、なぜ私たちが65分授業をすることにしたのか、実際の日課はどんなふうになるのかをお話しし、合わせて諸君の協力をお願いしたいと思います。 ちょっと長くなりますが、私たちの率直な思いですので、そんなつもりで聞いて下さい。 なぜ岐阜高校は65分授業をすることにしたのか(1) はじめに「SI」があった ![]() 「学ぶ・考える・思う」というテーマを意識し、「自ら行動する」ことで、将来に「トータル・パーソン」たることを期す、というのが、そのとき提案された岐阜高校のSIの骨子です。 ちょっと耳慣れない言葉かもしれませんが、トータル・パーソンというのは、「知性と精神性を高い次元で統合した人間」のことで、高い学問レベルと倫理観や道徳性を兼ね備えた存在を意味します。 私たちは、ここに新しい時代の岐阜高校の教育の目指すべき方向を定め、岐高生の理想像を描こうと考えました。 そして、それに即して、岐阜高校の教育活動の再編を考えてきました。 65分授業は、私たちの、そうしたいわゆる「学校改革」の一環として発想され、その根幹をになうシステムとして機能することになります。 (2) なぜ、「65分授業」なのか それにしても、なぜ「65分授業」なのでしょうか? それを語るためには、まず、今という時代が、きわめて大きな歴史の転換点にあるということを言わねばなりません。政治・経済をはじめとして、いたるところで旧来の体制は制度疲労を来たし、それに代わる新しいシステムが求められています。 教育の分野でも、学校5日制の導入、新指導要領の実施、トップ30大学構想の発表、センター試験5教科7科目化など、新しいシステムが起動しつつあります。身近なところでは、岐阜県の高校入試が今年から変わるのも、そうした流れの一環なのです。 岐阜高校も、当然こうした流れとは無縁ではいられません。 しかし、何でもいいから変わればいい、というものでもありません。 一方で岐阜高校には130年にも及ぶ伝統があり、営々として築かれてきた先人の知恵があります。変えるべきものと変えてはならないもの、新しくすべきものと受け継ぐべきもの、その狭間で私たちも必死で考えました。 まず、最初にして最大の課題は、「学力」の問題でした。 新指導要領によって、小中学校の授業内容が三割削減される一方、「低学力論議」を背景に大学入試のハードルはむしろ高められようとしています。高校での勉強は、その落差を埋めるべく、当然今よりも大変になります。また、学校5日制の導入は、それを完全実施する公立高校と、相変わらず土曜日も授業を行う私立高校との間に授業時間の格差を生みだします。少ない授業時間でより多くの内容をやらねばならない、それが諸君と私たちとが直面する現実です。 そういう中で、いかにして授業時間を確保し、諸君に難関大学の入試を突破するのに十分な学力をつけてもらうか、それが出発点でした。そして、それと同時に、「文武両道」を掲げてきた岐阜高校の教育の伝統を踏まえ、SIで示された「トータルパーソン」が可能になるような多様な教育活動をどう展開していくかが、言ってみれば岐阜高校独自の課題でした。 それは、こみいったパズルを解くように複雑な問題であり、いくつもの相反する要素を同時に成立させ、より高い妥協点を求める粘り強い努力の求められる課題です。 まず、授業時間確保のために様々な方法が検討されました。 学校行事を削減して授業にあてる、週に何日か7限授業を実施する、夏休みなどの長期休暇を短くして授業日を増やすなどの方法や、「45分授業×7限」案も検討に上りました。 しかし、これらの方法では、授業時間は確保できても、部活動を始めとする多様な教育活動の展開のためにはかなりの困難が予想されました。もちろん、「65分授業」にも同様の問題はありましたが、他の方法に比してそれはより小さいということも分かりました。 授業時間を確保しつつ、多様な教育活動の展開が可能であること、それが私たちが最終的に「65分授業」を選択した最大の理由でした。SIという観点からは、それがもっとも合理的だと考えたのです。 そして、そうした検討の過程で、私たちは、「65分授業」には単なる授業時間の確保という「量」的な問題にとどまらない、ある可能性があることにも気づいたのです。 (3)「65分授業」の開く可能性 岐阜県の場合、ほとんどの高校で、何十年間にもわたって50分授業が行われてきました。生徒も先生もそれになじみ、それが当たり前になっています。 それは、安心して拠ることのできる授業の枠組みであり、無意識のうちに私たちはそれに従って学校生活を送ってきました。それはつまり、きわめて安定したシステムだったのです。 そして、まさにそれゆえに、ある種の制約がそこに存在していることに、私たちはなかなか気づかなかったのです。たとえば、50分の授業を30分にした時にどのような授業が可能なのか、あるいは65分にした時にどのような授業の可能性が開けてくるのか、50分授業の枠に縛られてきた私たちは、考えてみたことさえなかったのです。 「授業」というものを考える時、50分という時間は当然の前提であることによって、私たちの思考や発想の自由を奪ってもいたのです。 あらためて、岐阜高校が直面する課題にたちかえって考えてみると、授業時間の「量」的確保は、必要条件ではあっても十分条件であるとは言えません。 「量」の保障だけで解決できるほど、問題は容易でも、単純でもないのです。むしろ「量」が確保されたところから、授業の「質」をめぐって、本当の課題が始まるといってもいいかと思います。 65分授業は、私たち大半の教員にとっても、初めての経験です。しかし、未知の領域であるだけに、その可能性をめぐって、私たちはドキドキするような期待を抱いてもいるのです。 今はっきりしていることは、50分の授業を単に水増ししただけでは、ましてや水割りして薄めただけでは、65分授業をやる意味はない、ということです。問題は、岐阜高校として、どういう65分授業をやるのか、どういう65分授業の可能性を切り開くのか、ということです。 ![]() どの教科も、先生・生徒ともに、しばらくは手探りの努力が続くかと思います。 私たちも、いったんこの体制に踏み切ったからには、あとには引けない覚悟で、知恵を絞り、力を結集して、一生懸命頑張ります。 諸君もまた、精一杯工夫して、65分授業のメリットを最大限生かせるような勉強の体制作りをしてもらいたいと思います。 繰り返しますが、問題の核心は、あくまで「量」ではなく、「質」なのです。 「65分」が話題になるのではなく、授業の内容が話題になるようになって初めて、「65分」も意味を持ってくるのだと思います。 それと関連して、私たちは、あらためて放課後の時間の活用の可能性についても考えてみたいと思っています。 部活動や生徒会活動などを通じて諸君の中に育まれるもの、友人や先生とのふれあいの中で触発され形成されるもの、そういうものを大切にしつつ、一方で、一人一人の興味や関心に応えるような形で、あるいは一人一人の資質や課題に対応する形で、課題講座がリニューアルできないだろうか、など夢はどんどんふくらんでいきます。 ここでもまた、諸君とともに力を合わせて、岐阜高校の教育の新しい可能性を切り開いていきたいと思っています。 日課はどうなるのかそれでは、65分授業の開始で、学校生活はどう変わるのでしょう。 日課は今検討中ですが、とりあえず参考までに、日課表の一例を下に示しました。 <月・火・水・金> これを見ると、始業時間は変わらないけれど、お昼が15分早くなり、木曜日以外は放課が15分遅くなるのが分かるでしょう。放課後の時間は、一日15分、週あたりで60分短くなりますが、 それでもとりあえず部活動は毎日可能です。授業同様に、ここでも、諸君とともに知恵を絞って、新しい活動の形を作っていきたいと思います。 また、部活動の最終終了時間については、そうした観点に立って、現在検討中です。 おわりに 以上、65分授業の実施に当たり、私たちがそこに込めた思いや新しい授業の可能性についてお話しました。 65分授業は、繰り返しますが、諸君と同様私たちにも初めての体験です。 そして、だからこそ私たちはそこに希望を見出し、その希望を現実のものとするべく力を注いでいきたいと思っています。 来年4月の本格実施までに、クリアしなければならない課題もたくさんあります。 4月以降も想定外の様々な課題が出てくるかもしれません。しかし、私たちは、いつも志を高くもって、一つ一つクリアし、乗り越えていこうと思っています。 当たり前のことですが、学校の生命線は「授業」です。 65分授業の実施を契機にして、今まで以上に、いい授業、楽しい授業、諸君の目が輝き、諸君の中の才能が目を覚ますような授業、それを目指して、私たちは努力を重ねる覚悟です。 私たちは、学校が、真に学校として機能し、この学校で学んだことが諸君の一生の誇りとなることを願っています。そして、その出発点には「授業」があり、それを通じて培われる諸君と私たちとの信頼関係があると考えています。 ともに、頑張りましょう。 |